ジャカランダ・La Palma島
〈 Isla verde/bonita=緑の・きれいな島>と別名を持つ、小さな島のこの季節には、
特に感激を増す花が咲きます。Yacaranda=ヤカランダ とも呼ばれる、海辺の気候と
風土でよく育つ木で、世界3大花木の一つです。
その色はなにいろと形容すればいいのでしょうか。一日の中で朝、午後、夕方と
なんども太陽の光と共に変化するのです。その魅力的な花について母と話す度に、
私達は<天国の色かもねぇ>と想像しました。
ご存じの方が増えた日本でも、かなりのフアンがおられるとも聞きましたので、ここに加えてご紹介いたします。
古民家を見つけて一目惚れした主人は、すでに15年間売りに出ていて、誰も住んで
いない家を懸念する事もなく1979年の冬に買ったのだと言いました。偶然にもこの家が
建ってちょうど100年目で<ご縁>が天から降ってきたような思いだったと話して
いました。
私はドイツで仕事中、その翌年に知り合いました。そして1982年の冬、初めてこの島を
訪れました。出発の前、主人はさまざまな知識をくれましたが、到着したそこは世界の果て、ドイツの都市、日本の都会とあまりにもかけ離れた風土でした。常夏で気候温暖との説明で、行ってみたい思いになったのは寒いドイツで震えながら、太陽と海辺を
求めていたからでしょう。冬は島中にアーモンドの花が咲き、風にのって至る所でいい香りが、又、真っ青な空と、黄色に色づいたオレンジの実のコントラストが感動的
でした。
短い休暇は海で泳ぎ、山歩きをして、新鮮な魚料理と地元産のワインで、よく寝て休む
ドイツ式の休暇がどれほど大きな意義があるのか、主人の言葉がわかるようにも
なりました。
次の休暇で来た時、玄関近くの大木を見て、言葉を失いました。それが<ジャカランダ>でした。私は即座に虜になり、この家との<ご縁>を素直に受け止めたいと幸せ
でした。15年の長い間、一年間に降る雨の量だけで、育ちを止めたように息をひそめて私達を待っていたのでしょうか。
当時は仮住まいの家に、水道も電気もなくて水は100m位、坂を上ると、村の人、牛が飲むように作られた水場にバケツを持って汲みに行きました。二人で4個のバケツの水で、食事は外食もあり、余った水はバケツにためて大木にあげました。私が両腕を広げても抱えきれない大きな木の皮は剥げていたのに、それでも春になると高い場所に蕾をつけていて歓声をあげた私達でした。
定住する時は、電気、水道、プロパンガスの配達があり、冷蔵庫も買って正常の
暮らしになり、主人は長いホースで、大木の根元に注水するのが楽しみになりました。
ほゞ毎年、5月末、6月いっぱいは満開で、散り始める頃はテラスは紫色の絨毯をひいた
よう、人の通る場所だけ道を作る、珍しい連日と感動です。花が散ると、もう若い緑の
葉が一杯でて、真夏は太陽が入れない程の日影を作りヒヤリとした空気を感じました。
成長が早いから、時々は枝の切込みが必要と友人達は進めるのですが、主人は断り、
家に入る人は木の下を頭を低くしていたのです。私達の愛犬と同様に深い愛情を育んだジャカランダにも限りなく多くの歓びを貰いました。
海辺の空気が好きなこの木が、海岸近くで最初に咲き、徐々に上も咲き始め、最後には
数週間後に海抜650mの私達の家で満開を迎えます。私はどこから帰宅する時も、花の
咲き具合に併せてうれしく、帰宅するとほんとうに堪能して眺めたのです。
村の人達も珍しいこのジャカランダを褒めてくれるようになりました。あの時点で
樹齢は何年だったのか、これから、まだどれぐらい大丈夫なのか、大きな家の一角に
静かに、誇らしげに根をはって、無数の花びらをつけ、いい香りを届けてくれる
大自然の摂理を、なんと表現すればいいのでしょう。
当初、なにもない世の果とみた自然には、誠に大きな宝庫が潜んでいたのを、年月を
重ねて限りなく発見して感動する生活感でした。そして、これこそが<豊な意味>だと
心身共に知るようになり、この生き方を探していた主人を改めて理解して尊敬しま
した。
海岸の近くに住む友人から、届いた写真は蕾がつき始めた頃の大木と若い木、
有名な海辺にある教会の片隅です。
目を閉じて、紫とも青とも表現しかねる美しいヤカランダの大きな樹と満開の
花を追い求める昨今です。来年のこの時期には、近くで見たいなぁ、、。