ヨーロッパと日本の私

ヨーロッパで体験した事、等々

ジャカランダ・大阪

 梅雨の晴れ間は、青空が広がり、湿度も低く、気温28度が快適な一日でした。

ここは、大阪市天王寺にある一心寺です。境内にある立派なジャカランダを見て

きました。

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コロナ自粛で去る6月1日から、一般公開された一心寺の境内はお参りの人で賑わい、
ロウソクと線香の香りが漂い、亡き人々を供養していました。大きな桜の木の下で

休憩していると、どこからか微風がふき寄って、心地よい、懐かしい初夏の時間となりました。

ジャカランダを見に来る人が多くて、写真撮影を、又、散った花びらを眺めて、この

美しい色の花と緑の葉は、このお寺の雰囲気によく似あう気品を感じます。手入れも

よく行き届き、名物の樹木になっているのです。

パルマ島の家にあった大木の花びらより、いささか小さいのは、木が若いからだと、散った花びらを手にして眺めました。

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前回も書きましたが、私達夫妻がこよなく慈しんだジャカランダは、日本で住む

ようになっても、私の脳裏から離れず、よく噂するのを覚えていた、友人は休暇で帰国する時に<実と種>を少しだけと、お土産に持ち帰ってくれた事があります。

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 花も葉も落ちた頃、ジャカランダの枝の合間に、まるで、貝殻を合わせたような実が

つきます。最初の緑色は段々茶色になり、重くなると枝から離れて、コトンと落ち

ます。その実は固くて,よほど枯れていないと落ちても割れないのです。手で割って

みようと試してもできません。友人はご主人に頼んで開けてもらい、中身だけを

取り出して、紙に包んで持ってきてくれたのですが、その紙を開いた途端、絶句しま

した。薄い、薄い、白い皮に包まれた小さな黒い種が10個位入っています。その種が

土の中で、新しい命を始める確実性を一粒の種から、十分知ることができたのです。

 

嵯峨御流のいけばな、田中美智保先生のお稽古日に来られた、同期の松井先生が、

ご自分のアトリエの窓際には太陽が入り暖かいから、試しに種を撒いてみましょうと、、とのご好意でした。又、又、驚きましたのは、なんと、5日後には発芽した

そうです。まさに、ラパルマと大阪の気候の差もいとわずに命を示す、、その生命力に

ほんとうに驚きました。植物はいい環境と理解者を知れば、必ず反応するのでしょう。

もちろん、松井先生は大切に水を撒いて下さり、いかほどかの配慮を毎日され、植木鉢も大きいのに変えて見守って下さいました。成長に合わせて、数か月後からは

<お嫁入先>を検討し始めたり、植木鉢でも次第に大きな葉をつけて、ジャカランダは、豊橋市豊中市へと嫁ぎ、そこでも元気に育ち始めたのです。

 

私は、一本は手元で育てたいと思いました。それも、多分、長くて2-3年、その後は他の場所に移植と考えて引き取りました。しかし、太陽が終日充分に届かない、この

小さなテラスでも育ちました。朝夕は話しかけて無事な成長を願いました。

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そして、驚くべき速さで、天井近くまで伸びてきて冬を迎えました。葉っぱは全部

枯れて落ち、枝だけと茎だけになり、私は冷えないよう、風で痛まないよう包帯をして夜は布で覆いました。この木は気温が高いほどに元気に育つのです。

平行して、土の中で成長してほしい考えは原点に戻り、たくさんの人に電話で問い合わせをした所、偶然にも、幸いにも<公園課>が引き取って下さったのです。

 

またしても、私は<種から天井まで育った>植物の生命力を経験しました。この日々も

優しく強く生きようとするジャカランダに多くの歓びと力を素直な思いで貰いました。

 

4-5年もしたら、大阪のどこかで、たくさんの人々に美しい花を見せてくれるよう、、

又、ふさふさと柔らかい葉の木陰を人々に届けてほしいと、ひたすらに祈っています。