アメリカ独立記念日
アメリカ国民が最も大事な記念日としてお祝いをしますが、今年は有名な花火も
どこで打ち上げるか直前迄公表されないそうです。突然どこかで、花火が上がり、
目に留めた人達は驚いて、忘れがたい記念にするのでしょう。
この世界一活気に満ちたメガ都市で記録される大勢の感染者は連日歯止めのかからない
まま報道されます。なんと形容すればいいでしょう !!
新しい国を求めて、ヨーローパから、南米から移住した多文化の民族が、作り上げた
大国アメリカは200年と44年で、想像を超える歴史の積み重ねで成功しましたが
今回の新型コロナウィエルスに直面して、かってない、複雑な課題の解決策をみだせねばなりません。そして、11月には大統領選挙があります。
国連本部の存在でさえ、影を薄くしている現状を考えると、その名に恥じない正道を
切り開いてほしいと思うのは私だけでしょうか。
(画像は借用しました。国連近くに寄付された平和を叫ぶ日本人の鐘)
1976年7月、200年の独立記念日に、私は初めてNew YorkにDuesseldorfから飛び
ました。大西洋を渡るだけの近さにヨーロッパから格段の親しみを持っていたのです。やっとドイツの仕事と生活に慣れ始めた頃の休暇でした。それ以前から敗戦国の日本で知り得る知識は、もちろんアメリカ文化で、若い私は多くの事に興味と関心を持っていました。ですから、New Yorkで少ない滞在時間を有効に使いたいと計画しました。
(画像はwikipediaから借用しました)
偶然にも、ハドソン川に200年祭を祝う帆船が世界中から集まり、セ―リングと
パㇾードがあるのを知り駆けつけました。あの大きな川を見た事もない立派な、古い
帆船が美しい姿で優雅に運行していて胸をつかれました。
こんな風景・行事があるのだろうか。雨に濡れて佇みながら、いかに、大きな国であり歴史を誇りにしているのだろうと、遥かな日本を思ったのを忘れません。
お祭り気分に浮かれるマンハッタンでは、私自身全くの外国人・黄色人種なのに、私に
道を聞く,質問する人が多くて驚きました。そして、Duesseldorf に帰って気がつき
ました。当時のドイツはドイツ人一色、外国人が殆どいなかったのです。肌と髪の
色の違いは、金髪や茶色であっても、ドイツ人同士の思想は似通っているのだと、日本人としての自分の存在をさらに知るようになりました。自身が外国人でありながらも、
どこかでホッとした<住めば都>を感じました。
New Yorkの空港に到着、難しい顔で荷物の検査を受けて、ゲ―トを出ようとした時の
係員は笑顔で<Wellcome to The United States of America>と叫ぶように挨拶したの
です。底抜けに明るい大国アメリカなのだと、、当時の感銘を記憶しています。
将来に向けて困難な時代こそ、大国の名に恥じない勇気に溢れた時代を祈っています。