写経を書く、、
スペイン、ラパルマ島で、2006年に主人を亡くした当時の私は、写経を書く、、力で
救われたのでしょう。すでに母がよく書いていたのをみていて、1885年頃、京都、大覚寺の本堂で初めて写経を書きました。夏の本堂は、猿沢池に吹き抜けるさわやかな微風でヒンヤリとしていました。正座する、そして集中すると、今まで知らない文字が多くて驚きました。お供えして供養する、、これは亡き人に対して、又、自分に向ける事
なのだと気づいて愕然としたのです。母と一緒の忘れがたい貴重な時間でした。
ある時、帰国中に母が、手が震えて写経を書けなくなったと話しています。毎月父の
祥月命日に書く習慣が長い間続いていました。朝のご仏前に花の水を変えて運ぶ時に、手が震えるからと、こぼさないように歩く姿に急な老いをみて驚いたのです。
それなら、私が写経を毎月父の祥月命日にお供えできるように書いて、Faxを送りたい提案をしました。母は喜んでくれてました。何年も続き、しかし、それは私自身の生活のリズムに入るようになったのです。外国生活で不足する活字にも、落ち着きを知る事にも、、。その前後は身辺をきれいにして、父の供養ができるように、母が私の文字に
乱れがないかどうか安心するようにと。
そして、亡夫が亡くなって立ち上げれない時に大きな支えをもらったのです。
大仏様の後では、どの季節に行っても大好きな薬師寺に行きました。
薬師寺は修復されて生まれ変わった?どちらかと言えば古い建築物が好きな私は、
訪れる人が少なかった当日、ほんとうにユックリと時間をかけてお参りしました。
薬師如来の美しい姿にいつも感動して、深い合掌を重ね、周りを静かに一周しながら
初めて気づいた事は、薬師如来の<お台座>に刻まれている絵画、そこにはギリシャの
ブドウが描かれていて、昔から奈良が<シルクロード>の最後地点だったとの説明です
そして、目的となる写経道場で、久しぶりに午後の静かな時間を過ごしました。
正面には<薬師如来><月光如来>と<日光如来>の仏様がみておられます。
母はこの276文字をサラサラと読み,書いたのに、私はいまも本をみながらですが、
約150人の机が並ぶ写経道場で、袈裟をかけて墨をすり、細い毛筆で一文字、一文字、書き始めるといつの間にか落ち着きます。最初は亡き両親、主人、たくさんの家族、友人と思い出し、次第に<空>の心境の自分を気づきます。よかった、、ありがたい、、この功徳こそお供えを届ける意味であります。
書き終えた写経は永代供養としてお寺に大切に残ります。
科学者で難病と闘って生きた、柳沢桂子薯<生きて死ぬ智慧>の一部をどうぞ。
**人はなぜ苦しむのでしょう、ほんとうは野の花のように私達は生きられるのです。もしあなたが目も見えず、耳も聞こえず、味わう事もできず、触覚もなかったら、あなたは自分の存在をどのように感じるでしょうか。これが<空>の感覚です!!**
写経の文字に含まれる深い意味は、仏教徒の神髄を末永く引き継ぐ、絶大な深い
メッセージを私達に呼びかけていると確信しているのです。