ヨーロッパと日本の私

ヨーロッパで体験した事、等々

全日本空輸=ANA

連日の新聞は、新型コロナの影響を受けて、大企業の赤字を伝えています。

それは、日本を代表する大企業であり、決算報告の赤字金額は想像をはるかに

超えます。ANAは5,100億円、さらなる欠損を考慮して、さまざまな構造改革

並べました。収益72%減、8,500人の人事整理、買ったばかりのエアバス

30機を売却、、経営者側の苦痛の声が聞こえます。必ず再建して、黒字経営に

すると、、!! そう願わずにいられないのは、社員の一人一人ですし、そこまで

歩み寄る労働組合の理解も、100年に一度遭遇するコロナのなす理由を

語っています。社員は出向先を、場合によってはス―パーとか、空の上から

地上勤務に変わります。ANAは70年以上、国内、国際便を駆使して、平行して

ホテル業、格安便等、時代の先端を走り続けたのです。        

           

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                 ( Airbus 380 画像はお借りしました)

私は、このANAの機種を海外の空港で見るたびに、必ず懐かしく思い出す記憶が

あります。ANAは国営日本航空の後から、戦後の経済成長に合わせて生まれた

民間航空会社として第2の位置を守りました。その社風のような姿勢を民間企業と

して立派だと思っていました。私はドイツで一番大きな旅行社を含め働いた

20年間に、世界の戦後の変化も一緒に学ぶことになり、その間には各国の

航空会社事情もありました。元来<飛ぶこと>が好きなのです。ですから、

研修旅行や個人の休暇、もちろん、家族に会うための帰国には、各国の飛行機を

選ぶ習慣がありました。

1970年以降の世界は急速に地球を小さくした、、と思う程。

それでも、やはり、国営のドイツ航空、スイス航空、フランス航空等、内実共に堅実な

サ―ビスを誇るフライトには安心感がいつもありました。

 

時は、1990年-1991年、湾岸戦争が勃発しました。ドイツも東西の壁の開放が

新しい時代を作り始めた頃です。<戦争、、だ>を危機感を毎日感じていましたが、

旅行業界にも、6週間の営業中止が強制されました。イラクは連合軍に参加する

国に対する航空機爆薬を宣告します。ヨーロッパで安全に飛行運営できるのは、

スイス航空、スカンジナビア航空フィンランド航空、等、数社になりました。

 

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         (画像はWikipedia から借りました)  

社員全員に6週間の休暇を許可する、、当時の不安定なヨーロッパ全土の雰囲気を

想像して下さい。有給休暇は約5週間あるから、その調整も含めて各社は

判断したのでしょう。社員達は、驚きながらさまざまな計画を立てました。

 

私は、是非もなく、この機会に主人が日本の家族に会ってほしいと願いました。

それ以前にはすでに、甥、姪、友人等がドイツ訪問して知り合ったいましたが、

父の亡き後、母に紹介したかったのです。長距離の飛行機旅行を未経験の主人は

目の癌の手術後であり、躊躇しながらも同意したのです。うれしい出発です。

お気に入りの<SAS-スカンナビア航空>を予約したら、それは当時、共同運航を

始めていた<ANA=全日空>も一緒だと知ります。機上食も一部日本食、機上職員、

スチュワーデスも一部日本人でした。急に安堵感もあり、湾岸戦争と日本の距離を

感じます。

しかし、乗客はほとんどなし、すると、一人のスチュワーデスが空席をお使い

下さい、、との事。主人をぜひ、横にしてあげたくて、靴をくぎ、くつろいで

もらいました。その間、私は手の空いているスチュワーデスと話した時、胸の

厚くなる言葉を聞きました。

<私達、ANAは後発隊ですから、、一人一人がその意識で働いています>、、と。

JAL-日本航空が網羅した時期、ANAは国内便から、ヨーロッパにも路線を広げた

頃で、私は、とっさに思いました、、この大企業は延びる、、と。

花形職業と言われた彼女達は一人一人の意識改革を徹底して、現場の乗客の

声を尊重したのです。

もちろん、初めての主人の日本行きはこの上ない快適な空の旅でした。ドイツ人の

主人も日本企業の経営力をほんとうに感心して聞いてくれました。

 

    いい印象を忘れない私は、その後も<ANA>を好ましいと思い、

    コロナで叩きつけられても、必ず立ち上げれる、、と信じています。