ヨーロッパと日本の私

ヨーロッパで体験した事、等々

stay home

新型コロナウィールスは短期間中に多くの<新語>を作りました。誰でもが

stay home <お家にいましょう>を理解するようになりました。どちらかと

言えば消極的な印象のある言葉ですが、今年は<stay  home>と決めて過ごされた

人達も大勢でしょう。コロナ対策の一環としてこの言葉が大事なのは、その収束が

明確になる迄は必要です。3蜜、手洗い、マスクに加え、さらに<stay home>で

感染防止ができるのなら、引き続き私達の暮らしに取り入れましょう !!

 

いかに快適に<お家にいる>か、異常気象で長い夏となり、夕立も殆どなく、

UVは100%、皮膚癌も危惧され、重ねてコロナ感染を懸念しながら生活する

人々の強さを敬服しました。台風前の猛暑ではクーラーは終日稼動せざるを

得ませんでした。熱帯夜も続き、クーラーで睡眠をとる習慣ができるのは

避けたいし、不健康だと知っていても利用しました。

 

 

各々の工夫と知恵で私達は<新しい生活スタイル>を生み出します。

すでに35年前、私は予想を超える経験に遭遇して、悲鳴を発しながらも、

数年後には、私達夫妻の好みをいかした住まいを作る経験をしました。

同時に<私達の魂>を家の隅々にまで浸透するように努力したのです。

日本からは遥かなラパルマ島、15年以上空き家としてドイツ人経営の

不動産社から売りに出ていた物件を、主人が一目惚れして買った家・古民家です。

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1979年、築100年の年に主人はこの家と大きな<ご縁>を貰ったのです。広大な

土地にどんな気候にも耐えるように建てられた家は、壁の厚みが90センチ、石を

積み、繋ぎに砂を洗って埋める、石の大きさと重みは改築にきた若い人にも

持てない重さでした。冬は暖かく、夏は涼しい、暖房も冷房もなかった時代の

家はどの場所もよく考えられ、高い技術がいたる所にあり、私達を完全に

魅了しました。

屋根は一部雨漏り、壁は落ちそうになり、Teakholz<松の木の真中の部分>の

床も歩くと揺れたりしました。

でも、テラスのヤカランダの花は水をまく人がいなくても毎年満開していたのです。

 

家は人が住んでこそ、、と言われるのはよく理解でき、15年の空間を埋めるのに

要する時間は想像以上です。私達はドイツで働きながら休暇で来る度に、

少しずつ改築する事を選択します。D I Y (do it yourself) の始まりでした。

スペインの築100年の家を、ドイツ式、日本式に改造・改築する、実に楽しい

試みでした。

不在中でも工事を進めるのに材料費を送り、時には騙されたり、さまざまな事を

経験しました。電線と水道は家の近くに来ているけど不在中のため必要なしと

決めて夜はロウソクが20本も立つスタンド、日中に家の中の用事はすませ, 

飲み水は5リットルの大瓶を何本も買いそろえます。夕方は海にいき、泳ぎ、

シャワーをして快適でした。

 

庭の片隅には深く掘った雨水の貯水があり、巾5mx深さ4.5mで蓋をして

いるので夏でも水は冷たく,大事に植物にまき、不足したらタンク車を注文して

給水。雨は秋から冬にかけて降り山の中に貯蔵して島中に配水しますが

当然足りません。掘っても掘っても地下水のでない島です。水は生命、

そのため貴重で買うと高いのです。 

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<Open Haus>と主人の65才の誕生日会には、友人が東京から来てくれました。

夜空の星があまりにもきれいで、鳥肌が出たと喜んでくれました。

 

数年後には改築もかなり達成して毎年の休暇は楽しみになり、時々、お世話になる

人達を招いて食事会をします。庭には約30-40人が集まり、パエリア、子豚を焼き

地元のワインでにぎやかな午後となり、ギターやアコーディオンを持ってきて、

歌うローカㇽソングは忘れがたい印象となりました。主人は私達が、遅く始めた

結婚生活、子供のいない事のため、お互いの友人の繋がりから新しい人生を

始めようと言って、来客は現地スペイン人、ドイツ人や、他の国の人達と実に入れ

混じっていました。目標を持ちその方向に歩けば、自然に道が開かれるのだと

知ってうれしかったのです。

いい人々といい家に住む、外国人の私にとっては、異国で多くの人々の支えを

受けて幸せであり、この道を歩こうとした主人に一段と感謝を深めました。

主人自身がドイツ人ながら、当時としては非常にユ二-クな道を選んだのです。

      

   いつでも近所の人達、友人が来て、、と願い、ドアはあいてますよ                 f:id:katsukomj:20200529171006j:plainFeb.1996

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             初夏に満開となるヤカランダは急成長で見事な青紫色の花をつけました。

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数年後、主人は難病を共にしながらも、この島の気候と人々が一層大事だと知り
家の改造をさらに進めたく、家の裏に大きなテラスを作ります。雨の少ない、

常夏のこの地で最後までいたいと願うようになります。夜中でも歩けるテラスは

適当な運動量を維持できて満喫しました。もちろん、大勢の人を招待できるように

設計しました。

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 母屋の天井の高さが3,8メートルあり、当初ペンキを塗りたい主人は特別に

鉄製の梯子を注文して、ペンキの入ったバケツを持って上がり、数分後には

ペンキの匂いと疲れで休憩、その度に私は降ろしたり上げたり、素人の私達には

大変な大仕事でしたが、天井も床も<Teakholz>でマホガ二色のペンキで

落ち着いた仕上がりになりました。中二階は来客用、老人用の部屋は更衣室、

子供部屋は読書室に変更。

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元の持ち主はこの村の有力者でした。使用人がたくさんいて、子供の世話をする

人や、調理、掃除、又、畑仕事をする村の人たちが近くに住むようになります。

ですからこの家の台所には地元の人が珍しがる、オーブンが2か所もあり、

台所もふたつの部屋に仕切られていました。私は主人が動きやすいように、間の壁を

取り外して、大きな台所を計画、食品の貯蔵室は、風呂場に変えました。冬の風の

ある夜、外のトイレに行くのは避けたかったし半盲の主人には危ない事なのです。

空気がきれいから、汚れもなく掃除も簡単、しかし、私一人ではすべてが多すぎて、又、家事全般が増え始めて、現地の夫婦に依頼して、奥さんが掃除、ご主人は

庭仕事を数年お願いしました。掃除の仕方もドイツ式とかなりの違いで驚きました。

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台所の横には元来一家が食事をとる部屋がありましたが、私は事務所を作り、

愛犬BellaとDozoが出入りしやすいように考え、夜もそこで寝るようにしました。

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ドイツの住宅には必ず地下室がありますがラパルマ島にはありません。物置き場が

少ないのはほんとうに不便ですから、できれば寝室にしたかったのを物置き場に

したらなんと、入る事、入る事、大変便利で大事なスぺースでした。ネズミが

入らないようにその都度のドアーの開け・閉めを注意しなければなりません。

 

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土地の境界線の丘の上から見える家。主人が山で松の苗を拾い植えたのが大きくなり

午後の陽だまりが快適でした。 

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この家の<宝>となずけたヤカランダの大木は毎年見事に花を咲かせてくれました。

主人も半盲になる前は、敷地の隅々まで歩いて、水撒きをして、植物が素直に

答えてくれるのをなんども、なんども感激したのです。

野菜畑と果物の木を至る所に植え食べきれない時は友人達にあげて、私達の庭に

ないのと交換したり。

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どう手をつければいいか見当のつかない異国の土地と家屋を前に、ほんとうに

闘いに似た挑戦を改造・改築に向けた数年、ある年、父の亡き後、母の独り住まいを

主人とたずねた時、写真を見せて、この家の中のペンキ塗りをするよう依頼してきた

のだと話しました。ラパルマ島に帰宅して無事に着いた、と電話したら、

最初に、、大変だったでしょう、、と。それはペンキ塗りの後片づけの事でした。

私達よりも、現場の様子を想像してくれていたのです。

思いやりの深い母の気持ちを忘れません。

 

無事に生活している様子を母に知って欲しいと願った私達2人の暮らしでした。

美しい花々、野菜、果物、植物全部、たくさんの写真を送りましたが、それでも

自宅の庭やテラスをどんなに見てほしかったか一回でいいから、一緒に歩いて、

触れて、野菜や果物を母の手で摘んで楽しんでほしかった、、、

         その想いは永遠に続きます。