ヨーロッパと日本の私

ヨーロッパで体験した事、等々

ドイツ、敗戦記念日

2020年5月7日、ドイツは75回目の第二次世界大戦の敗戦日を迎えました。

国民は刻まれた記憶を呼び戻し、決して、再び戦争はしない、と覚悟を認識したに

違いありません。Covid19の自粛、国境閉鎖を決めたメルケル首相の判断は

かなり成果を収めて外出も可能になり、国境閉鎖も一部解かれて、人々は夏休みの

計画でワクワク感一杯でしょう。

 

この苦しい時期に、あるいは、苦しい時期だからこそ、スタインマイヤー大統領は、

これでもか、これでもか、と必死に「平和」を呼びかけました。

心深くに響く、演説の一言、一言をお聞きいただきたく、リンクをお届けします。

  **上記はドイツ語、下記は日本語に訳した内容です**

https://www.bundespraesident.de/SharedDocs/Reden/DE/Frank-Walter-Steinmeier/Reden/2020/05/200508-75-Jahre-Ende-WKII.html

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https://www.bundespraesident.de/SharedDocs/Downloads/DE/Reden/2020/05/200508-75-Jahre-Ende-WKII-

 

ロシアのプーチン大統領は、毎年ロシア国を挙げて、勝戦を祝う大行事を行います。

しかし、今年は取り消しです。戦争の終わりから、75年の年月がいかに世界を変え、

歴史を変えたか、、戦争の惨さや内容よりシンボル化した記念だとも思えます。

 

この新型コロナウィールスは間違いなく人類に多くのメッセージを伝えるでしょう。

なにを、学ぶのか、知るのか、私達は一人一人の、大事な人生をつつがなく

生ききる権利を持ち、そこに向かって立ち向かうべきです。

 

すると「平和」も「調和」も「団結」も、一人、一人の力を集結して広がります。

 

 

イチゴと思い出

 

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「畑愛好会」にとって「緊急非常宣言」は悲痛な情報でした。広大な畑の至る所に

収穫まじかの野菜が一杯で、手分けして、手入れしても収穫をしきれない春を

迎える事になったのです。私は人類も自然も植物もCovid19の大きな被害者だと

気づいた頃、イチゴの子株の手入れを依頼されました。春が、収穫予定の5月が、

どんな状況下にあるか、でも、一生懸命伸びる小さな若葉は逞しく、又、好きな土を

触りながら、その日は、コロナの不安からかなり解放されたのです。

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そして、5月、子供達は(距離とマスク)着用で畑に来て、真っ赤に熟したイチゴを

摘めたのです。よかった、、明るい子供達がさぞ、喜んだでしょう !!

 

ドイツ中部地帯には斜面の地、丘、小川、なだらかな広大な土地がえんえんと広がり

私の自宅から30分位自動車で走れば、国道沿いに<イチゴ狩り>の看板が目に止まり

ます。隣の奥さんが、毎年私達に摘みたてのイチゴやジャムを下さるので、一度私の

車で行く事にして、日本人の友人とその息子を同伴しました。ドイツ人と結婚した

友人は待ち侘びた子供ができて<目に入れても痛くない>程、その半日はピクニック
気分で外出して、まず、イチゴの食べ放題です。そして、自宅用に籠一杯買いました。

広いイチゴ畑で、私達は日本で経験した事のない喜びと楽しみに弾んでいました。

ステファン(友人の息子、5才)が突然、ママ、イチゴは木につらさがってないの?と

聞いたのです。ハットする私達でした。なるほど、知りようもない事です。

Duesseldorf 大学病院の脳外科の優秀な医師になったステファン、自分の4歳の子供を連れて郊外のイチゴ狩りに行っているような気がしてなりません。  

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その事を聞いて大変喜んだ私の主人は、実に、私の知らないイチゴの手入れ法をその日教えてくれました。台所一杯のイチゴを洗い、拭いて、ヘタを取る時に、私が小さな

ナイフを使いヘタを取ろうとしていたら、違う、、違う、、と。イチゴを手に取り、ユックリとヘタを回して外すのだと言いながら、手ほどきします。すると、確かに大事な実を傷めないし減らさない。私達はテラスに座り込んで、数キロのイチゴを冷凍用、ジャム等、仕分けしました。数年続いたイチゴ狩りと主人の懐かしい思い出です。

 

主人はお母さんに教えてもらったのかしら、それとも、ドイツ人は自然に知っているのだろうか、、ほほえましく、温かい主人の一面を記憶に戻しながら、自身で手入れした

イチゴが格段の味覚となりました。

Japan Tag in Duesseldorf

ドイツ政府は、新型コロナウィールスの自粛緩和をさらに進めました。感染者の

データを各州の自治体が公表する前提で実行されますが、だめなら、即、再度の

自粛を開始するとの、分かりやすい方針を選びました。今週末は、快晴に恵まれて

市民の多くはアウトドアーを満喫できて感激していると想像します。

自動車工場にも働く人々が返ってきて、又、まもなく、サッカーも無観客で始まり

ます。ポツダムやほかの美術館も入場が可能になりました。

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しかし、<日本デー・2020年5月16日、土曜日>はキャンセルです。一つの名物が

消える事になりました。毎年100万人の訪問者はDuesseldorf市民 、他の各州や

外国からも後を絶たず、ライン川で予定されるさまざまなイベントに朝から夜遅く

まで<日本文化>を知り・体験するのです。

 

日本企業がDuesseldorf に根をおろし、市の最高納税社も日本企業、不動の位置を持ちながら、日本文化をドイツに広げようと意図して、日本総領事館、日本商工会議、

日本人学校、日本クラブ、飲食関係等、総揃いして、今とばかりに立ち上がりました。

ライン川辺り一帯、寿司、たこ焼き、焼きそば、書道、柔道、剣道、アニメ、漫画、J-pop、そこは日本が再現されたような場所になり、観客も好き好きに衣装を凝らし

ます。公開されるプログラムを選び、足を棒にして楽しむ人々は夜の<花火大会>を最高の楽しみに待ちます。例年、WDR-TVは生放送をドイツ中に送ります。至る所である<花火大会>ですが、唯一の日本人による制作と打ち上げでも有名です。

ライン川上には、多くの船が出て、食事付きで、まじかに美しい花火を鑑賞します。

興奮と歓声で拍手が止まりません。

     youtu.be経済と文化が、このドイツ中都市でよく調和されて、市民は日本人を高く評価して

います。決して経済だけでなく、日本を正しく伝える事ができたのです。

そして、それは、日本人として私の住む環境をも支えてくれていたのです。

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      画像は借用しました。夏の午前中、散策する人々。

 

浪々と流れる<父なる川・ライン川>の美しい景色が、永久に私の記憶に留まり、

         懐かしさと思い出を呼び戻しています。

皐月の満月・フラワームーン

千代子さん、先程は写メールありがとうございます。ここは、曇り空で満月を

見れなかったのですよ。ですから、あなたのメールを引用していいでしょうか。

5月の満月カナリアのフラワームーンお届けします。月の明かりに目を

覚まし思わずベッドから撮影、真夜中に訪れたお月様・・・お許し

願います。一瞬の夢、フラワームーンから幸せを頂きました。

 

コロナは、まだまだ油断できない中、自粛緩和で、2か月ぶりに朝の

散歩が可能になり、5月の公園の草花を愛でる時間に感謝しています。

これまでと違う生活リズム、気づく事が沢山あります。  

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満月の明かりは、特別にクリアーな光です。千代子さんが夜中に目を覚ますのが

よーくわかります。私もラパルマで家の上を移動する満月の光をよく感じたのです。

高揚感と共に、コクコクと時間を刻む宇宙の壮大な営みを知り、いつも感動しました。

 

来月は大阪の空で、、でも、梅雨前線のニュースも始まるでしょうか。

安定した気候の地から、千代子さんと政雄さんに、カナリー気象情報を頂くかも?

数年来の<お月様フアン>の共同通信で、絆はさらに嬉しくなりそうです。

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平行して、ラパルマ島からもホッとするニュースがあります。自粛緩和はさらに
ゆるみ、自動車の助手席にも座れる、森の中の散歩をできる、大きなスーパーにも

行けるようになったけど、海水浴はいまだ禁止だそうです。

日常に戻る嬉しい気持ちが十分わかります。友人は自宅のテラスから見える海と

<guajava・グアヤバ>の木の写真をくれました。この果物は私も庭で毎年収穫して

ジュースやジャムをたくさん作りました。手入れも簡単で一年中常緑なのです。

 

Covid-19の第2波を寄せ付けない、強い意識を<新しい生活様式>にして、みんなが

安泰でありますよう願いつつ、来年の今頃はもっと解放感を共有したいのです。

 

 

 

母の日

            おめでとうございます !!

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日本とドイツは、5月10日、スペインは去る3日に、大勢のお母さんがお祝いを受けたと

お慶び申し上げます。白い花を亡き母上に捧げる人々も、ありし日々に感謝されたの

ですね。予想だにしなかったCovidー19の影響のため、働く若いお母さん達に深く

<ご苦労さま>と申し上げます。健康で子供達から愛される気持ちを大切にして、

ガンバってください。

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親友のギャビー・Gabiは昨夜、息子からの写メールをくれました。5か月の孫の成長が眩しい、でも、会えないし、抱っこもできない、と。息子は< Homeoffice=テレワーク>だから、かわいい子供と時間を取れて喜んでいるし、時々、前もって電話して、

お祖母ちゃんのいる施設の下に行き、窓越しに挨拶だけしている、とも。思いやりが

あれば、いろいろな方法で伝える事ができる、息子を褒めていました。

施設にいるギャビー・の母・ママは、パ―キンソン病が進み、よく転ぶので今日は

車いすを届ける予定。毎日一時間の訪問が可能になり、施設内の1部屋で会えるけど、二人の間には、透明な壁があるそうです。高齢者の感染が重視されるのは、どの国も

同じ問題ですから,と十分理解していました。

 

母の日は、Phlipp( 息子)がギャビ―に、ギャビーはママに、世代を繋いでお祝いと

なります。

家族がやっと、会える時間が増える事を私も喜びきれません。不安が相互に強くなる

時はギャビ―はママと仲のいい近くの部屋の人達に、旬の白いアスパラを毎回5kgも煮て大きな鍋で施設の入り口で渡して励ましました。何回も続けました。

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ギャビ―の亡き父、パパはオペル自動車で生涯働いたので、家族は一年物の車を安く

買えます。先日、Opel-Crosslandの白を買ったそうです。でも、トランクはいつも

ママの買物・届け物だとも話しています。せめて、ギャビ―自身が少しでも楽しみが

あれば介護に力も入るでしょう。

 

私は、10日、昼食後のママに電話する約束をしたのです。コロナに感染しないで、

一日、一日を大事に生きて,曾孫を抱っこする日を待ってねぇ、、と。       f:id:katsukomj:20200509202117j:plain


    

 

 

 

 

 

淑ちゃんとジュネーブ

(新しい生活様式)等、3項目を加えて自粛は5月31日迄、延長する事になりました。

連日の散歩が一段と大事な意味を持ち、運動量を減らさないように歩く途中に、今日は

遠い思い出が戻ってきて、ふと、涙がポロポロと出て、懐かしい亡き淑ちゃんを

偲ぶことになりました。 逢いたいねぇ、、淑ちゃんと声にしたりして。

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淑ちゃんとの、ヨーロッパで初めての小旅行、ジュネーブから乗った汽車が長い

シンプロントンネルを抜けると、急に景色が変わりミモザが咲き乱れるイタリアの春の

美しい風景が目に飛び込んで来ました。ほんとうに感激の連続でした。

その夜はコモ湖に宿泊予定、有名なヘミングウエイの<武器よさらば>の舞台になった地を訪れる感動と、周りの美しい景色に打ちのめされ、私達は湖の周りを無言で暗く

なるまで歩きました。コモ湖の深い色はなにいろと表現すればいいのでしょう。

 

淑ちゃんは(雪のベニス)が好きでした。でも春のイタリアを一緒に旅行しようと考え

Duesseldorfの私を誘ってくれたのです。ドイツ中部・南部地方の広大な風景にやっと

慣れそうだった、ドイツ生活の短い私は、国鉄が南下してスイスに入り、さらに、

イタリアに行く可能性をどれほどに感激した事でしょう。ヨーロッパの国々が、

こんなにも近く簡単に行き来できる、でも一つ一つの国の歴史や生活は独自の特色を持っていて、来たいと願ったヨーロッパを知る機会のある事に感動して、淑ちゃんに

深く感謝したのです。その後も私達は度々、旅行や休暇を過ごした、青春時代の大事な親友でした。

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一歩先に行くからねぇ、、と淑ちゃんがフランスに出発したのは1970年、フランス語を2年間勉強して、ジュネーブのUNO・国連事務局・日本政府代表部に勤務しました。

日本から会議に出席する政府関係者の予定作り、食事の用意に、時には国境を越えて

フランスのレストラン、メニー、味見、等、プロ級の仕事を喜んでしていました。

 

彼女は日本で、すでに<草月流・師範>の免許があり、スイスで現地の人々に教え

たいとの強い希望を持っていました。生活を立ち上げるため日中は働き、夜は

(いけばな)を始めたのです。いまだ、I.I.=生花International がアメリカ中心に広がりつつも、ヨーロッパは未開地、興味を持つ人達を募るのに、政府代表部のご婦人達の

協力もあり、数年で立派な組織になります。現在では、スイス各地に支部ができて、

いけばな人口も定着、増加しています。

しかし、その頃(乳癌)を発病します。どんなに苦しかったか、、いかに(いけばな)を続けるか、、闘いの数年でした。

日本の経済成長期時代は、日本から(家元)一行がヨ―ロッパ巡業に来られて、多くの

企画が組まれ、彼女は中心になって行動したのです。ドイツはケルン、フランクフルトにも飛行機や国鉄、自動車で移動を共にしました。現地の人々は<マダム 淑>の名を

唯一の日本人・いけばな家として尊敬しました。その大きな願いは達成しながらも、

平行して(癌)の再発との電話を貰った時は、気を失う程のショックでした。

 

当時の私は主人の看病が、ラパルマで始まり、簡単に外出できない状態でした。

度々の電話がせめてもの励ましの時間、彼女は耐え抜き、大阪の家族が見舞いに来る

ようになりますが、働いているから数日で帰国します。

 

1998年夏、、来てほしい、、とラパルマで電話を受け、言葉を失いました。

しかし、主人は半盲、インシュリンの注射、食事と2匹の犬の事、一歩も外出の

可能性がないのは周知して、日本の家族にその旨電話で説明して、私が行けないから、

直ぐ、誰かが来てあげてほしいと頼んだのです。後日の話では、食欲もなくなり、

ほうれん草のおしたしが食べたいと言い、嬉しく食べたのだそうです。

 

力尽きて、、ほんとうに、力尽きて、1998年9月8日、65才で逝去しました。

草月流本部は、長年の彼女の仕事を労い(功労章)を家族に渡したのです。彼女の願いは

大きな成果をスイスに残しますが、一命をかけた半生だったのです。

 

(ジュネ―ブ)が好き、いつ、どこに行っても、レマン湖の橋を渡る時、帰って

きた、とうれしいの、となんども話していました。 

   

    youtu.be 共有した時間、議論した仲間、優しかった性格のすべては、私の中であまりにも

 大きな位置を示していて、在りし日を思い出すだけでいつも涙が止まりません。

 

  ** 南無阿彌陀仏 南無阿彌陀仏  合掌 合掌 合掌 **

      淑ちゃん、ほんとうにありがとうございました。

鯉のぼり・端午の節句

               五月晴れ、大型連休を楽しく過ごせる澄み切った空気と光りです。

Covid-19の対応として緊急非常宣言の延長を、さらなる、忍耐を確認するためにも

多くの人々が、この連休をいかに、有意義に、楽しく過ごすか検討、行動して、悔いのない時間にしてほしいと願っています。

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桜の新緑は、数週間前の満開を急にどこかに置き忘れたような静かな午後の散歩道、

でも、青い空の下で、風でお腹をいっぱい膨らました、立派な鯉のぼりをみました。

この家には、男児が誕生、無事にたくましく育つように、願う思いが十分に伝わる

誇らしげな鯉のぼりです。最近は、見かける事も少なくなった都会の生活ですが、家の

中に<兜>を置いてお祝いする家庭もあり,昔から大事に 引き継がれています。

 

節句>季節の変わり目にある祭日は、習慣でありながらも、特に健康と安全を祈願

する大きな願いを含んでいます。説得力のある日本の祭日なのだといつも思います。

 

又、(世界の子供の日)として、1054年、国連は、子供達の相好理解と福祉を増進する

記念日の一つとして国際デーに指定しました。世界中には、食糧難に苦しむ子供達が

どれほど多いか、Covid-19の感染で貧困地の子供達が多く死にいたらないか、と。

子供らしい笑顔を見せない、うつろ気な目のあどけない姿をテレビで見ると、

ほんとうに心が壊れます。

無事に、健康に育つ事の幸せを一人でもたくさんの子供達に恵まれるよう祈るのです。

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 5月5日(菖蒲湯)は香りのいい新しい葉っぱが浮かび湯舟の中で赤ちゃんが入浴

します。プチプチする赤ちゃんの肌色は、絵画を見るような光景でしょう。

そして(柏餅)をみんなで食べるですね。のどかな、豊かなすばらしい習慣です。

 菖蒲湯や菖蒲寄り来る乳のあたり、、 江戸中期のすばらしい俳句も

 読みました。

古い昔から、中国の薬草として親しまれた(菖蒲)は暑い夏を丈夫で過ごせるよう

人々の近くにありました。なお(鯉のぼり)の鯉もその強い生命力から(登竜門)の

別名があり、この端午の節句に不可欠な華やかな行事にしているのです。

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   子供達の将来が明るい希望と勇気に溢れたいい時代でありますよう !!