oh,schoener Mai(5月を祝う)
今朝のドイツの天気予報は曇り、気温12度、先週まで快晴が続いていました。
嬉しいのは、長い自粛がかなり解除されて、一部の学校、動物園、美術館等が以前の
姿を取り戻し、待ち望んだ外出を楽しめるようになりました。感染者数と死亡者数も、他のヨーロッパより少なく、しかし、先週からはマスクを着用する規則も始まり、
コロナ第2波の予防を団結して取り組んでいます。
政府は当初<国のプレゼント>として給付金を、実に見事なスピード感で決定して、
Online手続きで2-3日の間に、決められたカテゴリー別に支給しました。この難局を
国民と一緒に乗り越えましょうとの裏付けに、国民は政府に対する信用と信頼を
大きくしました。(助け合う)、、私の尊敬するドイツの一面でもあります。
Covid-19は多くのイベントを禁止しているのです。野焼き、ダンスは来年 !!
そして春を迎えた人々は、例年は(5月祭り)をお祝いできるのです。
4月30日は、習慣で<火を焚き、土に着いた魔物を焼き払い>夜になるとパーテイ、
<Tanz in den Mai>5月に入る喜びを、夜を徹してのダンスです。今では、以前の
程ではないと思いますが、農村や中都市の人々の大好きなお祭りでした。特に
南ドイツは盛大に祝う習慣が残っています。
<Maibaum・5月の木>大きな木に飾りをつけて、街の中心部、教会の近くに
立てます。旅行中には、ドイツの各州ごとにある特徴が珍しく、私は牧歌的な風景を
毎年愉しみに自動車で遠出したのです。
( oh,schoner Mai) ヨハン シュトラウスの有名なオペラ、この季節にピッタリと
マッチ、好まれる音楽でしょう。この頃はドイツ人の挨拶によく聞く言葉です。
youtu.be (YouTube)の一つに、どんな時でも、前向きに考えよう・生きようとする
ドイツ人魂を感じます。
至る所でスズラン(Maigloeckchen)が咲き、小さな花束を持って午後のお茶に
訪問しました。フロリダのBigiも私も特に大好きなので、共通性を喜んだのです。
この頃からは、ライラックも香りよく、日本の花水木の赤や白い花を思わせました。
フロリダのビギー(Bigi=Brigitte)、、
、、からも(WhatsApp)で絶えず、動画を添えたメールが入ります。3月生まれの
彼女に私は毎年お祝いをしています。日本で住むようになってからも、誕生日のお祝いの言葉を送る、長い年月の習慣をできるだけ続けようと思い始めたからです。
それは、外国滞在中に知り合い、ほんとうに自分の事のように惜しみなく、私を助けてくれた人達だからです。ヨーロッパのキリスト教の基礎にある<愛・慈悲・誕生>の
思想が現在までしっかりと継がれている習慣を尊重したいとも思うようになりました。
各国との時差は、夏時間と冬時間もありますが、通常、誕生日のお祝いは、生まれた日の午前0時前には禁じられているので、相手が生まれた日になるように配慮します。
youtu.beBigiが尊敬した<Steve Jobsの最後の言葉>動画を添えていました。
フロリダに住んでいるビギには、少し遅れて電話しました。今日で71才になったのと、
45年前と少しも変わらない声で、ドイツ語がドンドン膨らんできて、私達は長い会話を十分楽しみました。コロナのニュースを日本とドイツに関して特に気をつけてみて
いるからとの事です。コロナでマスクが必要となった時、最初に<作り方をyouTube>
日本語版で探して知らせてくれました。そしてこの人とも、今後も過ぎた日々を話す相手だと気付いて有難いと思います。
アメリカはもちろん、世界中に有名なマイアミビーチです。
このBibi こそが、私のDuesseldorfの住まいを見つけてくれた人です。彼女は当時
すでに日本企業で5人の駐在社員の秘書として働いていました。すべての事を手探りで立ち上げた当時の日本人社会は、現地の社員を必ず必要としていました。彼女は
実に明るくて好感が持て、面接で直ぐ採用となったそうです。条件は英語,ステノが
できるのが最低条件、しかし、仕事の量は想像以上に多く連日残業をしていました。
駐在員の家族がドイツに引っ越しして来る時は、住まい探し、登録、入学、車の買物、
夥しい雑用をこなし、奥様達の生活が早く立ち上がるように一緒に外出、インテリアの
お世話もしていました。後日になれば、どの家庭も喜んで、Bibiを招待しれて、
又、彼女もよく招いて、折々私も同席、日本人家族と親しくなりました。
私達は週末になるとライン川を歩きました。
当時、Hapag-Lloyd Reisebuero Duesseldorf 支店で働き始めて3-4年たった頃、
私は営業を担当して、旅行者のバイブルともいえるABC(A4・5cm 厚さの本)を
持って訪社、その会社の出張者の飛行機の予約を一緒に計画して、帰社すると電話で
各Air Lineに予約してチケットを発券しました。その内、ビギー は私が会社に来るのを喜び、次々と顧客を探してくれたりしました。当時は日本人もドイツ人もお互いの
距離をいかに近くに置くか、現在は想像もつかない(助け合う精神)があったのです。
私が住まい探し中と知り、自分の住んでいる下の部屋が空いたから、と大家さんと交渉
してくれて、即刻入居となり,複雑な手続きも心よく助けてくれたのです。
ほんとうに、感動してこのタイミングと幸運を永久に忘れたくないと心に刻みました。
お互いは出会う相手との生活で変わり、Bigiはアメリカに行き、New York から
フロリダへ、そこで、アロエのドイツ向け輸出会社を経営するドイツ人に会い
結婚しました。その人とは写真だけの知り合いでした。
ドイツにいた時、真夜中に電話やベルを鳴らして、来てほしいと言われ彼女の
部屋に行くと、いつの頃からか、自分は拒食症になったと、青ざめて泣きながら
話すのです。後日、その難題解決を含めて渡米したのだと思う私でした。問題性は
場所を変えても、変化しないと考える私ですが、当時はみんな若かったのです。
ドイツ人との結婚生活は大変幸せな時間でした。プール付きの大きな家に住み、時々
彼女は思いついたら、ラパルマの私に電話をして近況を話してくれたのです。
数年後にご主人は彼女の看病を受けながら亡くなります。一人残された彼女は
徐々にアロエの事業を引き継ぎますが、長年の拒食症の影響か腎臓病になり、その
移植をします。アメリカ人の腎臓で元気になったと、感謝していました。
さらに<癌>になり戦う数年、食事、生活、すべてを切り替えて、去年、5年目の
テストで癌完治と朗報を受けたと、涙で話す電話でした。
ドイツのご両親にも大変お世話になった私は、亡きご両親に会いたいだろうな、と
思いますが、日本人の私のセンスなのかもしれません。
金髪で青い目の典型的なドイツ人女性、日本食が大好きで、毎日お豆腐を食べます。
どこにいても、健康があれば、幸せを見つけて、毎日を大事に、、ねぇ、と、
私達の話題のテーマです。
イギリスの桜
この度の新型コロナウィルスが、世界中に広がり始めて、すでに4か月以上の時間が
過ぎています。温暖とはいえ、長い冬を終えて迎える春は、ほんとうに私達の気持ちを
明るくします。そして、お互いの無事を確認したい、温かい思いも湧き出るの
でしょう。
昨日は、まさに以心伝心としか形容のしようがない、珍しい電話をイギリスの友人、
優子ちゃんから受け取りました。声を聴きたくなった、、と 2-3 年振りにかけて
くれたのです。ちょうど、私自身は午後の散歩で、メールを書こうと思いながら
自宅に着いた途端の電話でした。Covid19のニュースが世界中の国の情報を伝えて
いて、多くの人々が心をよぎる気持ちになり、母国、日本にいる家族、友人にかけて
いるのだと。
優子ちゃんの住んでいる家の庭には大きな桜の木があり満開との写真です。
今年はほんとうに、よく桜を満喫できたと思っていたので、添付された写真は
今年最後の、若葉もついた花と青空が見納めとなります。
2021年の春、日本でもっと桜を見たい、、と帰国の知らせもうれしく聞きました。
鹿児島県出身の彼女に会った1970・71年頃、新しい波が日本の若い人達にも広がり
始めていました。女性でも自立して、自分の目的に向かって生きてみたい、と時代の
変化を早くから感じていた人でした。その頃、日本で働いていたイギリス人に出会い
結婚して、その人の転勤で香港に住み、一男一女を育て幸せな家庭を築いて数年後、
イギリスに帰国して子供達には最高の教育の機会をみだした年月がありました。
ご主人のPeterのドイツ出張に同伴して、ドイツの私達の住まいを訪ねてくれた時は、
<持つべきは友‐友ありて遠くより来たり>大変うれしくて、ありがたかったのです。
優子ちゃんは唯一、毎年必ずクリスマスカ―ドに近況を添えて送ってくれました。
現在のように通信網が便利でなく、時々の文通・ハガキで無事を知る、、これは
日本へもヨーロッパ間も同じでした。電話代が時間毎にやすく使えるようになった
のはドイツでも1975-80年代でしょうか。
そんなある日、Peterと離婚したとの知らせを受け取りました。子供2人の事を思えば、かなりの決断と勇気が必要だったでしょう。昨年は又、Peter が<がん>で死去との、
訃報があり、彼女は自分の人生の半分が消えた、、と深い悲しみで明け暮れしました。
日本から香港へ、イギリスへと、共有した時間を偲び辛かったに違いありません。
次の知らせは、アメリカのフロリダからでした。イギリス人と再婚したとの朗報。
オメデトウ、、と再出発をお祝いした私達夫妻でした。
その人は、ヘリコプターのパイロット教授、世界中からの志願者を指導し、優子ちゃんは秘書として働きました。明るい温暖なフロリダの生活は豊かな数年となりました。
私自身がドイツとラパルマの行き来を始めた頃の感覚に似ているのかも、、と思った。
大事な人生を幸せに生きる、、人はその折々の運とか、チャンスの流れに乗りながら
自分と向き合い、責任を果たします。
その数年後、二人は退職後の場所として親友のいる南仏、ノルマンヂィに家を
買います。イギリスの娘や息子も子供達を連れて、憧れの南仏に休暇を利用して来てくれる、、花を植え、きれいに手入れされた家の写真を受けとった時は<ヤッタ>、、ねと返事したのです。しかし、交通手段や距離からしても、利便性が悪くてイギリスに戻ろうと決めたそうです。売却を不動産会社に委託するけど、良い買手が見つからず、かなり待ちました。ちょうど、その頃、私の主人が亡くなり、私も残された不動産をどうするか迷っていたので、彼女の思いが大変近くで理解でき励まし合いました。
すべてが手つくりの愉しみ。ご主人は終日でも庭仕事が好きとの事です。
待ち侘びたある日、この課題も解決して、いよいよ、娘家族の近くにいい物件を見つけて、長い期間の手入れ中だとメールがありました。
2人は老いても、長く住んでいたいから家の中はバリアフリーに改造して、前の持ち主が日本ファンだったらしく、庭には、桜、モミジ、椿の木等が所狭しと植えられているそうです。又、二人は庭仕事が大好きなので、土地の一部を菜園にして、野菜の種から
新鮮な野菜を収穫する迄、手入れする健全な日常生活、特に春から初夏にかけて大きな楽しみでしょう。
この場所に出会った<ご縁>を感じているとの、嬉しい話でした。
<the garten of England・イギリスの庭>と呼ばれる、森や湖に囲まれたイギリスの
田園風景を二人はこよなく気に入り、この地を最後の場所にしたいと願って
いるのです。
知り合った頃、若かった私達は、Beatlesに熱中、外国を知りたい、好奇心に駆られ
ながら、今だ、どこか閉鎖的な日本社会に反抗したりしました。しかし、お互いに
年齢を重ねた今、過ぎた日々を話せば、かけがえのない友人であり、今後も繋がっていたいと願い<Face time/WhatsApp/eMail>を使い、便利な時代になった、と振り返るのです。
人生、さまざまですが、一人の日本人女性として、立派に真直ぐに生きた人だと
その聡明さと明るさが少しも変わらない、優子ちゃんを心より誇りにしています。
来年の春、再会できたら、積もり積もった話でしょう。楽しみにしています!!!
イタリアから、、
日本人女性の<youTube>が目に留まりました。現地からの生々しい叫びが
聞こえます。遠い日本を思い、なんとしても、日本がイタリアの二の舞をしてほしく
ないと、切実に考えて伝えています。
北イタリアのアルプスに近い所に畑を持っているから、自宅とその畑を行き来する
3週間以上の生活を続けているのは、忍耐の一言に尽きます。
優先順位を考えると、<国民一丸>となって、自粛する、努力する、危機感を
持ってほしいと繰り返していて感動します。
母国が遠い程にこの人と同じく、あれこれと、思うのを私自身が数十年続けたのです。
この人の日本を思う気持ちを、悲痛な<叫び>を、一人一人の私達が聞き届けたいと
思います。
イタリアも春本番、今はミモザが、田園には色とりどりの花が美しい時期です。
イタリアの人達もどれほどに収束を願っているか十分に伝わっていますよ。
あなた様とご家族の安泰をお祈りします。
大阪のシンボル・銀杏
植物図鑑の1ぺージ。気品と優しさがこれから秋にかけて喜ばしい。
この瑞々しい若い葉・芽はこれから夏を迎え、秋になるとこれもドキリとする程、
美しい秋の象徴的な黄色い葉に変わりますが、1枚の葉っぱがそれだけでも十分
美しくて人々を虜にします。
Google画像の家紋、誇らしげです。
銀杏の実・ギンナンをとる、、拾う、季節の味を楽しむ迄は、臭い皮の手入れもありますが、昔から大阪の人にはご自慢の植物です。1粒か2粒のギンナンが入っているだけで、マツタケの土瓶蒸しや,てんぷら、おせち料理の価値が上がるのは、色と形、
貴重な植物として好まれるからでしょう。
ドイツは古くから薬草や植物の治療が有名ですが、銀杏の葉はお茶・テーバックで
大変愛用者が多いのです。血糖値を、認知症を安定する効果があります。しかし、
銀杏の木そのものは、日本のように多く見かけませんが、<Ginko>と言えば、
ほゞ、誰でもが知っている名前です。<健康食品>の店は、健康志向の人達が熱心に
効果的な自然食品を探し、その中でも<銀杏のお茶>は必ず店舗に並んでいます。
ドイツは、この銀杏を薬品と認定しているので、もちろん、お茶以外でもいろいろと
製品化されています。ドイツに住み始めた頃、なぜ、日本でみないのに、ドイツで
溢れているのか思ったのは後日判明しました。日本が許可しないのは、毒性の成分が
少しだけどあるのだそうです。
私は薬草を、すでに20年近い食品必需品と考えて、その恵まれた条件をラパルマで
実践に移した数年は大変貴重な経験だったと思います。
7月頃の葉をとり洗って、2-3日干してお茶にして飲みます。
雨上がりの午後のイチョウの木と若い葉は吸い込まれそうな新鮮さで、元気いっぱいに
これからの季節を育ちぬくのです。この土の深くから真直ぐに空に向けて伸びる力を
見ていると、このような力で新型コロナウィールスがもうこれ以上猛威を振るわないで収束してほしいと、そのために私達もみんな協力して、団結して生活しているの
ですと、空に向かって叫びたい思いでした。
大阪の御堂筋、約4kmの両側には銀杏並木がトンネルを作り、秋に開催される
大阪マラソンのランナーの賞賛も極めて有名です。
ドイツの桜
ドイツ、中部の街、Duesseldorf・Oberkassel からイースターの挨拶に添えて、桜の
写真が届きました。友人は自動車に乗らないで、快晴なので家の近くを歩いて見たいと思ったそうです。長く住んでる家の近くやライン川や農家のある所をカメラを片手に
歩き始めると、意外と新しい発見があり、嬉しい時間だったと、なお自分の住んでいる環境も再認識したと書いています。
満開の<桜>と添えられた写真です。
ある家の前に大きな桜の木があり、満開、その美しさに、その場を離れられない
ような思いだったと書いてます。ドイツでは、ソメイヨシノを殆ど見かけません。気候や土壌に関係しているのかと思いますが、その品種は普健象、雛菊桜,東錦に似た花弁で、赤い色もその日の天気に影響されて一日の内にさまざまな色となります。
私の住んでいた家の近くにも大きな桜の木があり、バスで通勤中は座席から手を
伸ばすと届きそうでした。桜は<日本の花>と自慢もしたものです。
ある日、主人が言いました、、残念なのは、ドイツの夫人達は、桜の花びらが道を
埋めていると、直ぐ大掃除をして取りのぞく、、と。なるほど、、日本人はこの美しい
花の花びらでさえ、愛おしい思いで受け止めるのだと思う私でした。情緒が不足か
あるいは、家の前で、その花びらで転んで怪我をするのを塞ぐためか、と。
ドイツの中都市で時々桜の並木道をみますが、どれも同じ品種の桜です。どこか大味で
大陸的な逞しさですが、日本人が感じる桜への思慕は別の花でならあるのか、または
本来、春から夏にかけて萌えるような新緑を好む人達だからでしょうか。
Google画像です。左正面の建物がHapag-Lloyd AG. 私の働いていた会社の本社です。
毎年、北ドイツ、Hamburgはアルスター湖の近くに植えられた見事な桜に敬意を
評して、Miss Sakura (桜の女王)を選びます。ドイツで一番早く開設された
日本総領事館が日本とかの地を繋ぎ始めたすばらしい外交の桜です。
復活祭・frohe Ostern
イースターおめでとう、、とヨーロッパ諸国の国民が挨拶する、それはクリスマス
同様に大事な祭日です。毎年違う日になりますが、その理由は、その月の満月から
最初の日曜日となるためです。従って<2020年は4月12日>です。天体の法則は、
キリストの誕生をクリスマスと定め、十字架にかけられた不運を復活させるのが
復活祭です。
すでに、4月10日が聖金曜日、この日から13日の月曜日迄を復活祭の期間として、
13日も祭日です。ドイツは遅い春を迎え、学校も春休み、この休日を利用して家族の
訪問、旅行等、さまざまな予定が立てられのは、クリスマスと同じですが、長い極寒を
過ぎて迎える春には新しい生命の歓びがあふれています。
今年は新型コロナウィールスの影響で誠に残念ながら自粛となります。天気予報は
ほゞ安定していて快晴、平均気温11度、日照時間も約8時間、風も少なく絶好の
イ―スター日和です。屋外で過ごす事が大好きなドイツ国民の叫び声が聞こえそう
です。各地では自転車、歩いて外出して、大きな森・池やライン川の辺りで過ごし
ながら、世界中が苦しんでいる難局の収束を願っていると信じます。
12日の日曜日はキリスト教徒は、通常であれば教会のミサに参加して、キリストの復活を祝います。帰宅すると昼食の前に、子供達は<イースターの卵>を探します。
庭のある人は前日に隠し、屋内に隠したり、子供達の最高にうれしい時間です。
卵はさまざまな色や絵が描かれていて、ゆで卵なので机の上に飾ったりします。
又、イースターの期間は<兎>も主役です。この兎と卵は、古代から豊さのシンボルとして貴重な意味を持ちます。
昼食はシ―ズンを迎える白いアスパラガスとハム、茹でたジャガイモにソースを
タップリかけた多くの家庭の定番料理です。テ―ブルの上には専用のホークセットが
並び<キリストの復活・誕生>を祝います。
白いワインがいい愛称。 アスパラの畑・画像は借用しました。
新型コロナウィルスは、この白いアスパラガスを収穫する季節に大きな打撃を与えて
います。その収穫には毎年、近隣諸国の外国人労働者が来ますが、入国規制のため、
来れなくて、各農家の人達はドイツ人の失業者やボランテアに頼んでも不足です。
昨日のZDF-TVは、特別の条件付きで、ポーランド、ル―マニアから入国許可を
得た労働者が着いたと報じていました。これは約6-7週間続く、収穫時期に大きな
明るいニュースです。ドイツ人は白い大きな、太いアスパラガスの味覚を好み、毎年
楽しみに待っています。私もドイツのこの味覚が大好きで特別の鍋、アスパラ用の
ピーラで、丁寧に料理して疲れた仕事の後でも、セㇾモ二ーの如く、夕食を楽しみ
ましたし、今、食べたいものは、、と聞かれたら、即、白いアスパラガスと答える
でしょう。一度、この近くのス―パーで見かけて試しましたが、土壌の違いかどうか
味は失望するものでした。
<誕生>を祝う行事が一年に2回の定着している習慣が、2000年以上も続くヨーロッパの文化の深さを、私は毎年のように感じました。