ヨーロッパと日本の私

ヨーロッパで体験した事、等々

バナナが特産品

<宝の果物>と言われたバナナは私達の生活に欠かせない食品になりました。

私はこの果物をさらに身近に知る経験を数年に渡りすることで、さらなる近親感と

その味覚をよく理解して食べるようになりました。

常夏のラパルマ島の主要農産物は<バナナ>、海岸近くは広大なバナナ畑で埋め尽く

され、さらに栽培を増やすために斜面に石垣を積み土を運んできて大きな畑にします。

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この島の男性は特に石垣つくりの優れた能力を持っていて、隣のGomera島の石垣も

殆ど作ったと聞きました。溶岩の石、海岸に流れ着いた1個が何100kgもある石で

決して崩れない頑丈なつくりで高く、広く頑丈なバナナ畑が並びます。

 

パルマ島の地形は海岸から一番高い山頂<Roque de Muchachos>2400メ―タの

天文台がある場所まで急斜面を走るヘヤピンカーブの道が至る所にあり、バナナ畑は今にも落ちそうな急斜面にも作られますが、その収穫時には1房が50-70kgの重いのを、肩にのせて一歩一歩下に降ろす作業が大変です。

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標高100メータで気温が1度違うと言われ、そのためにバナナの栽培は海抜550メータ位迄、植えても実をつけず、きれいな葉っぱを鑑賞するぐらいで私はテラスで

大きな植木鉢に植えて、きれいな若いバナナの葉を楽しみました。

 

バナナは赤道直下の気温を好み、収穫まで約11か月、水をよく使うのでどの畑にも、大きなタンクがあり大事に配水します。地下水のない島でバナナの栽培が続いている

ことは長い歴史の背景から取り消せないのでしょう。畑の中はうっそうとして薄暗く、そこには放し飼いのニワトリや野菜を植えたりして、差し込む少しの太陽の恵みを

受けます。実をつけて収穫した<母バナナ>の根は伐採され次の木が収穫に備えます

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バナナ畑の近くまである海岸は5ツ星のホテルが立ち並びますが、畑の持ち主は普段は別の場所に住みますが、海岸は気温が高い、涼しい所がいいからでしょう。

 

アフリカ、又、大西洋からの強風が大きな葉っぱを微塵に切り刻むと、栄養不足になりいい実をつけないので、最近は網・白いネットを張って保護、それは収穫の回数を増やすので以前のように緑の景色は減って白いネットの景色に変わりそうです。

 

小さな苗から収穫まで手入れを緩めることなく特に花をつける時は安定した天候を願う

人々です。定期的に既定の検査を受け、適合する農薬を水と混ぜて畑中にまきます。

 

バナナは島の輸出で一番の収益、行政が援助するので今後も安定した農産物でしょう。スぺイン本土、ヨーロッパに近く週に2回の船出の日は大きなトラックで道路は

渋滞します。地域ごとに集荷場所が決まっていて流れ作業で処理され、出荷する時は、まだ緑色、処理中に捨てられるバナナは家畜やコンポストのため、捨てる部分はほとんどないのです。私は畑で外側の枯れた大葉を2-3枚もらってきて、1年分を水につけて柔らかくして細く割いて野菜の支柱の紐や野菜そのものを留めました。昔から島の人達の知恵が至る所で生きていて学ぶことは限りありませんでした。

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バナナ、、私の子供の頃はなかった果物が、市場に出回った頃、それは栄養価の高い、

すばらしい果物と知り驚いたのです。南米から、東南アジアから輸入され高価な食品としてお見舞いに持っていったりしました。

亡夫が出版した本にも楽しいイラストがありますのでごらん下さい。

 

東西ドイツ壁崩壊の時、市民がバナナ文化をかざしました。東ドイツで長く不足して

いたバナナは解放のシンブルとなり、新しい東西ドイツの幕開けに人々は大喜びで、

西ドイツ市民は、バナナジョークを数年話したものです。

 

 店頭に並ぶ山盛りのバナナをみながら、けなげな花と実になって市場にでる過程を

 思い馳せます。あの広いバナナ畑の温度は今日はどれぐらいかなぁ、、。