ヨーロッパと日本の私

ヨーロッパで体験した事、等々

故郷、ふるさと

この言葉の文字や響きでさえ、どこか懐かしさを感じるのは私だけでしょうか。

皆さんは、自分の<ふるさと>の地名を断言できるのでしょうか。

 

最近、私はこの<問い>からかなり解放されている自分に気がついて安堵しています。

<ふるさと>にいる?日本人の、家族の、友人達の側に住んでいるからでしょうか。

 

外国滞在中、自分の故郷は<いまいるところ>と言い聞かせて、実際にドイツ、

スペイン、どの地にいても、日本人が集まると必ず<このテ―マ>で話が始まった。

滞在期間が長くなり、帰国するまでの数年は、日本人である意識は優先するものの

<ふるさと>はダンダンと遥かな遠い地となり断言できなくなりました。だから、

定期的に帰国して家族と共にいる時間を持ち、日本が私の<ふるさと>だとの考えを繋いでいたのでしょうか。

 

ドイツ人との結婚は二人分の<ふるさと>を意識する事であり、又、住んでいる場所が変わればその意識も新たな<テーマ>になります。

ドイツの現役時代は仕事優先で深く考えず、むしろ、退職した後、主人の看病が始まると突然襲ってくる意識はなんと深くて、、。働き続けたドイツ社会の20年は瞬く間に

過ぎていて社会から離るのを知り、病気の主人との2人3 脚の暮らしが始まりました。

パルマ島の家は亡夫が<夢>のように望み、気候、環境と老後を考えて48才の頃に

一目ぼれして買った家です。築135年、大松の木の中心を使って,ガッチリと建てられた広い家と、広い庭を見てどこから手を入れたらいいかと、私達は話し会いました。

15年間、売りに出ていた家の庭は、荒れ放題、又、火山島のため、土より小石が多くて

整地するのが大変でした。でも、近所の菜園でみた、サツマイモを植えたくて早速の

<土いじり>。大事な水は雨の降る時,屋根やテラスと道路から流れ入るように掘って作られた幅5.5m,深さ4mの<用水>からポンプでくみ上げ、野菜の近くに大バケツを

置いてまく。

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    初めて取れた<イチゴ>はその後、主人の朝食用に重宝しました。

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    アーモンド の実を取り出すのは時間のある時の仕事です。

朝夕の手入れで野菜や果物、花の成長を知る連日は<幸福感>が一杯でした。

農薬等、一切門外、鶏糞、馬糞、コンポスト等、不足すると落ち葉を微塵切りにして、自給自足、余ればご近所や友人に届け、そこからは、私達の畑にないものを頂き、豊かな人間関係も自然に大きな輪になって<土を触る充実感>を体の奥深くで感知した時期でした。亡夫は病気と闘いながらも、私達は十分に力を分かち合えたのだと確信して、それは<土のエネルギー>が苦しかった闘病生活の亡夫と途方に暮れる私を<ふるさと>がどこか、と教えてくれた偶然性を思うようにもなりました。

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   ブドウは約4リットルのジュウスを作り、リンゴはジャムに。

 

私達が二人で<いまいるところ>それが第2の故郷でした。それぞれの第一の故郷は、一人はドイツ、一人は日本、しかし、人情あふれる素朴な地元の、又、ドイツ人の

自然派等、住む場所に<土のある場所>だと知り感動したのです。

                特別の思いがラパルマ島の暮らしに根をおろしていたのです。