ヨーロッパと日本の私

ヨーロッパで体験した事、等々

新年会

  今年もにぎやかに友人達とお祝い会ができました、、との写真が届きました。

  ここは、カナリー諸島、Grand Canarie島,首都のLas Palmas市です。

  ランチがすんで、コーヒーとケ―キも終えた、日没前の太陽が眩しい午後です。

  よく見ると、知っている顔、人が大勢いて、みんなの笑い声が聞こえそうです。     f:id:katsukomj:20200125174619j:plain

招待する人、される人、毎年の楽しみは大きくて、それぞれが<持ち寄る・作る>料理もまさにプロ級でしょう。<さぁ、、>今年も頑張ろうと無言の意識確認のひと時だと写真を見ながら皆さんの健康と安泰を祈っています。

 

7島あるカナリー諸島は、2つの州制に分けられて、Grand Canaria,Lanzarote と Fuentventura、他の小さな島々。もう一つはTeneriffe,Gomera,LaPalma とEl Hiero。 

同じカナリア諸島でも風土や習慣がかなり違いますが、Grand Canaria島は大昔から

貿易で栄え、インド洋からアフリカ大陸,ヨーロッパに航海するルートができていて免税国として独立していました。各地から寄港する民族が生み出す国際色豊かな街となり、言語も無数に使われます。

世界3大港のひとつであり、6万トンもあるクルーズ船も問題なく錨をおろせますし、

日本のクルーズブームでは今後訪れる人がますます増えて、すばらしい島めぐりが

満喫できると予測される観光スポットでしょう。

 

第二次世界大戦の後、1950年代には日本はこの地に遠洋漁業の足場を作り、暖流にのる<マグロ>の捕獲で繁栄し、商社と企業が進出して日本人を派遣、日本総領事館

日本人学校、補習校等、街つくりを始めたのです。すでに領事館はその50年記念祝典を

しました。当時から、すでに50-60年住んでいる日本人は、次世代、3世代と年を重

ねて、この地を最高のふるさとと決める人も多数います。現在は約250位の方が遥か

日本から遠い地でお互いに協力、助け合って生きる団結力で独特の強さを示しています。スペインで最初の<日本レストランFuji>はオーナーの佐藤氏の堅実できめ細かい営業で定評を積み40年の業績をたたえて,州都とLas Palmas市長、観光局から功労賞を授与されました。 

気候が温暖なので、毎日は充実した生活であり、魚は新鮮、野菜、果物等、存分に太陽を浴びて育った食品で遊湯自適に暮らせるのです。

漁業面は<ビンナガマグロ>が不魚になり、現在は日本で販売される<蛸>が殆どこの近海で捕獲されると聞きました。港は船舶の整備が主力となり近郊から日本の船が絶えず出入港します。

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戦後のドイツ人は、はじめはスペイン本土の海岸、さらに地中海の島々に、そして

気候、太陽が安定しているカナリー諸島に旅行するようになりました。1970年代は

あの大きな島の海岸には、ドイツ資本のホテルが立ち並び、ドイツ各地からドンドン

休暇に来るので、まるでドイツにいるような文化があちこちで作られたのです。

経済繁栄はこの島々を豊かにし,子供達もドイツ語を学んで将来の就職に備えます。

最近は、自国より移り永住を望む人達が増えて、EUの特典も利用されています。

 

パルマ島は自治面はTeneriffe島に充当しますが、日本人の滞在手続きは

日本領事館なのです。小さな飛行機に乗って、その用事の都度行く、なんと不便な

離島の暮らしかと嘆いたもの、しかし、Las Palmas島にはすでに、中国人,韓国人が

多く住み、食料品店も数店ありました。日本食が食べたい、、外国滞在が長くなると

自然にその思いは大きくなり、次第に現地の日本人のご好意にすがるようになり

ました。醤油、味噌、昆布等、調味料が増えて、ダンダン日常生活が豊かになってどんなにかうれしかった事、亡夫は船便が着く度、開梱する私の顔が印象的だったと後日

話していました。

日本からの船便で着く食品を特別に私に分けて下さった<レストランの佐藤氏>、又

<殿さん><北さん>皆さんの数々のご好意に支えられて、ラパルマ島の暮らしは実に

豊かな温かい数年となり、いまに至りました。

  又の日、お目にかかりたく、その時は皆さんと心ゆく迄お喋りして笑いましょう。

  ほんとうに皆さん、長い年月、いろいろとありがとうございました !!

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