義弟の余韻
訃報を受け、悲しんだ義弟の葬儀は無事に2月7日に行われました。
姪から多くの知らせを受けました。新聞広告に報道された事もあり、当日は130人の
弔問客が来られたそうです。Emden市営墓地の中にある、プロテスタントの教会で
ミサがあり、その後、埋葬地にみんなで歩いて行き、最後の別れをします。
姪が見た遺言には火葬して、遺灰を土に返してほしいと書かれていたとの事です。
義弟らしい静かな言葉が聞こえるようです。ドイツの習慣として、土葬、個人用
火葬の墓地と遺灰は合同で名前を記念碑に刻む、3種類の埋葬を選べるのです。
現代のめまぐるしい時代の影響は、日本でも問題化される風化する墓地と同様に
ドイツでも、大きな土葬用の荒れた墓地を見るのは、特別に悲しい状況です。
義弟は多分その事も踏まえて決心したのでしょうか。
幸いにか偶然か、私の主人とは10メータ位の近さになりました。二人は土の中でも
昔のように一緒になりました。
広い、明るい墓地は、春になると新緑が輝き、お参りを兼ねて市民の散歩する公園と
なります。歩きながら、義弟夫妻が噂する亡き人々の名前をよく聞いた私達夫妻は、
生まれて育った街で、成長の時も亡き後も、共に生きた証を分かち合うのだと思い
感動したのです。
亡夫の埋葬・墓地に関しては後日、別の記事にしますのでご拝読下さい。
義弟は警察官で、姉妹都市のイギリス、ロンドンへの相好訪問のため、長年英語を
勉強、自転車の好きな亡夫同様、生涯スポーツを趣味にしました。
1992年、一人で綿密な計画を立て、スぺイン、バルセロナのオリンピックを目標に
自転車旅行、宿泊はドイツ、スイス等、ユースホステルの設備の良さを利用しながら
完走したのです。帰路は自転車は国鉄に載せ、自身はDuesseldorfの私達の家を訪問して
くれました。数年後、視力が落ちて自転車を断念した時でさえ、愛好者の仲間の
ご夫婦が声を上げ、Nordkapp(北極)迄の完走を計画、<二人乗りの自転車>の
後ろに義弟が、先方をご夫婦が交代で運転して同伴、完走しました。
まさに人間愛の溢れた話は、現地の新聞に、バルセロナの時と同様大きな記事に
なりました。
金婚式を盛大に祝い、連日は静かな二人は最後の最後までオシドリ夫妻でした。
全力を出し切って見事に生きた人生を誇りにする家族ながら、私は名残り尽きず
もう少し一緒に話がしたかった、、余韻がドンドン押し寄せてくるのです。