ヨーロッパと日本の私

ヨーロッパで体験した事、等々

愛犬、Bella & どうぞ

この名前を呼ぶだけでも、とぶように駆け寄ってくる姿が目に見えるようです。

Bellaはイタリア語で<きれい・すばらしい >そして、どうぞは<日本語>のどうぞ。

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犬を好きな方は理解いただけると思います。私達夫妻の愛犬の話をお読み下されば

ほんとうに幸いです。

左が母犬のベラ、右が娘のどうぞ、どちらも長生きで、ベラは15才、<どうぞ>は

17才で逝きました。典型的な雑種、ベラは少しコリー種が入ってるかも?どちらも

大きな犬でした。

https://www.google.co.jp/maps/place/Camino+Espigon,+31,+38759+El+Paso,+Sa

 

   <Google map の Street viewで私達の家もごらんいただけます>

土地柄、家はアチコチに建っていて敷地の区切りもあるのかどうか、犬を飼うのが

現地の習慣になかったのは、放し飼いしているニワトリや野菜畑を傷める意味から、

飼う人は短い2m位の鎖で繋いでいました。それは家畜を優先する暮らしのため、

必然的に習慣化された事なのでしょう。

 

外国人が住み始め、土地を仕切り外部からの侵入を塞ぐため、網を張りめぐらし、

大きな敷地内では放し飼いするのは現在の犬好きな人達の条件です。

 

<眼癌>と診断された主人は、一つの目を摘出後、残ったほうも急に視力が落ちて

<半盲>になり、番犬がいれば、誰か来ても吠える、、と言ってた頃、近所で立ち話を

していたら、ベラがスタスタと近づいて来たと言います。誰の犬か分からず聞きまわったら、ドイツ人の自然治療の先生で、留守の友人宅を見に来た間に、ベラが道路を

渡って人のいる所に行ったらしい、自分は高齢だし、よかったら<アゲル>と。

その日から、ベラは主人の大事な相棒となりました。

 

ある日、床に血痕があり、後をたどるとベラの出血で初潮でした。私達はそれまで犬に

関して、なにも知識がなく近所の人達に教えてもらいながら、獣医、予防注射、餌等を

覚えて本格的に動物・犬と暮らすようになりました。誠にすばらしい経験の始まり

でした。

その直後のオス犬の素早い行動など想像もしなかった私達でしたが、数週間後には、

ベラのお腹はダンダン大きくなり、落ち着かず穴を掘ったりして、動き回るので

出産が近いのかもと、主人と話してテラスの大きなジャカランダの木の下に、これも

大きな箱の家を用意して、ベラが安心するようすを見て、ドアーを開けて寝ました。

夜中、度々覗いていたら、顔を上げて苦しそうな時、赤ちゃん犬が無事に産まれ

ました。主人は近くに来るのが怖いのかも、私は次のも、又、次のも、4匹の赤ちゃん犬でした。ベラの疲れと満足そうな表情に私は感涙しながら、掌に載せて温かい生命を

実感して、ベラ、よくやったねぇ、オメデトウ、ありがとうと繰り返しました。

ベラの相手は、家から300m位の坂下に住む南ドイツの夫妻のかもと聞いていたの

です。次の日、電話したら、間違いない事、直ぐにも獣医の所に行き、赤ちゃん犬を

薬殺してもらおうと言いました。

主人の悲しみ、私自身も解決方法もなく、その夫妻に同意した時、主人がいきなり

<Bitte-どうぞ>と叫びました。元気そうなのを一匹選んで残したのが<どうぞ>

です。

その夫妻と私は3匹の赤ちゃんを包んで、車で走り始めたら、ベラがついて来ました。

赤ちゃんをどうするのか、、返して、、と。約 200m上の自動車道に入り、ユックリと走って、ベラが家に引き返すのを待ったのです。獣医はドイツ人夫妻を知っていて

<なぜ避妊手術をしない、惨い>と言ったそうです。その時私達夫妻も実に無謀な

罪を犯した事を大きく反省してベラに謝りました。

 

<どうぞ>はスクスクと育ち、父犬に似て大きな犬になり、ベラがしっかりしている

ためか、のんびりとした性格で、皆から好かれました。私は自動車に一緒に載せて、近所のドイツ人女性達の散歩に、毎週土曜日に同伴するようになりました。

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山の中は、人も動物もいないので、犬はリードを付けないで、自由に動き回り、

大喜びでした。遠くに行かないよう、折々は集まり、水を飲み、おやつを上げるの

です。何年も続いた、人にも、犬にも最高の時間だったと確信しています。

 

その間には、広大な土地の境界線に網を張る工事も済み、ベラもどうぞも存分に

遊べる庭で、トカゲ、ネズミを追いかけたり自由に動けて元気な毎日でした。

でも、ある日、<どうぞ>も出血、ベラの二の舞をさせたくなくて、気をつけていましたが、<どうぞ>も近所のオス犬の子を妊娠したのです。

一部を竹のドアにしたのが壊されていて、そこから出入りしたのでしょう。

大きくなる<どうぞ>のお腹をみて、早めに納屋の中に、たっぷりと場所を作り、ここで産みなさい、そばにいるから、と。

その夜は、ベラの経験もあり、近くにいたら、一匹目が無事に生まれ、又、又 産まれ

<どうぞ>も慣れたようす、私も少し横になるから、と。 数時間後にみると、元気

そうな子犬が6匹でした。私達は、妊娠した時から、動物愛好会を通じて、貰い手を探していたのです。しばらくは母犬の側で育ててからがいい事は、みんなが同意してくれました。

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(どうぞ)の赤ちゃん犬達に、なんとベラが母乳を上げていたのです。そんな事が

あるのか、とにかく、驚きの連続です。<どうぞ>自身が母親になりきっていなかったのでしょうか。おばあちゃんのベラ、母犬のどうぞ、そして6匹の子犬を喜ぶ主人と共に私も他の事はなにも手につかず堪能する数週間でした。

 

主人の病状は年々悪くなりました。ベラもどうぞも気を遣う、私も雑用が増えて時間が

不足、散歩もいつも一緒に行く近所の人に頼んでも、しかし、ベラもどうぞも主人の

側がよかったのです。主人に向ける、この親子の深い信頼を教えられました。

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主人が亡くなった直後は、現地、ドイツ、日本へと連絡や手紙だけでも大変な仕事で

犬をかまう事さえできなかったある日、ドイツの友人と泣きながら電話していたら

ベラが、近くに座り込んで私をジッと見つめていたその目にドキリとしたのです。

ゴメン、、ベラと言いながら庭に連れて行き遊びました。ベラは、取り込んでいる

連日をすべて見て、主人のいない現実を感じていたのです。

急に元気がなくなったので、行きつけの獣医さんでレントゲンをかけたら、大きな

癌ができていました。苦しみながら、追うように、主人の亡き13日後にベラも

逝きました。主人の後を追ったのだと信じた私、ベラを知っているみんなも同じ思いで、悲しみはさらに重なりました。

家族の一員の感覚を持ち、亡夫が<主人>である事を最初の出会いから知っていた、

私は散歩に行き、食事を作り、てっきり私の側にいる存在と思っていましたが、

長い月日を通じてベラは亡夫を<吾が主>として生きていた事を知り、ベラにも

及ばない未熟な自分だったのを知りました。一筋に役目を果たした立派なベラでした。

 

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その夏、ポカンと穴の開いたままの毎日は(どうぞ)と私に慣れるための時間が

必要でしたが、私はドイツでの行政や住まいの処理があるため、近所のドリス夫妻の

好意に甘えて(どうぞ)を預けて出発しました。2週間の予定中は、山積みされた用事を片付けるのです。その間にドイツで私は<不整脈>を発病して、不調の体で帰宅が

やっとできました。一方(どうぞ)は、ドリス宅の頑丈な網の下の石を掘り起して

200m上の自分の家に帰って、ドリスはその都度長いリードを、持って迎えに行く、

そんな日が数日だったそうです。どうして、あの大きな石を掘れたのか、今でも話し

ます。家には誰もいないのを理解してから落ち着いたと聞きました。

この夏以降(どうぞ)をどこにも預けない、私も極力自宅にいる、と決めました。

もし、どうしても必要があれば、誰かに寝泊まりしてもらう、、事としたのです。

誰に頼むか、新たな問題も、ドイツから、友人、知人の紹介で時間と共に解決できて、

6か月後は、テネリフェの大学病院に<カテーテル検査>に一泊、大阪の 母のお見舞いも15日間の旅程でした。日本に滞在中も夢をみる(どうぞ)の吐く息に目が覚める、度々の経験から(どうぞ)と私は一体感をさらに強めていたのです。

番犬としての効果も充分覚えてくれて、私は数年間を独りで住む生活に慣れたのです。

近所の人達との散歩も定期的になり、私の心臓病もかなり安定して、野菜畑を楽しみ、

海水浴に、山歩きはいつも(どうぞ)と一緒でした。大きな犬なので、自動車に飛び

乗る後ろ足が重くなった時、近くを歩く朝夕の散歩に切り替えました。

もう<イヤァ>と座り込む時にも、せめて10mでも歩いてほしいと願ったのは、生きて

いてほしい、私の願望だったのです。冬は部屋の中を温めて、オムツをして、そして

食事にも配慮して、すべてを(どうぞ)いいようにと考えました。

家の外にも行きたがらず、動きが辛そうになり、獣医チェザーに来てもらいましたが、

触診で大きな癌のある事、ベラと同じように苦しむのかどうか、薬をもらいました。

周りの人達は<安楽死>を進めましたが、私は最後まで看ると決めていました。餌も

水さえほしがらなくなる数日後、痛みが酷くなり、声を上げて苦しむので、(どうぞ)もういいね、朝になったらチェザーに来て貰おうねぇ、、と腕に抱え込む繰り返しの数時間でしたが、猛烈な声を上げて、頭をコトンと落とし、私はなんども叫び、呼び覚まそうとしましたが、うなだれたままです。私は鼓動がある間は(どうぞ)は生きているのだと、その心臓の響きが消えるまで腕の中に包み一緒でした。よく頑張った、、

よく頑張った、、と褒めつつ、アリガトウ、、を繰り返しました。

ベラの後に入るように、大きな枇杷の木の下に用意した場所に、きれいな白い布に

包んで、ドリスにも来てもらい数人と一緒に午前中に埋葬しました。

 

思えば、(どうぞ)は私の人生で唯一の<誕生と死>を体験した生命でした。

17年間にあったさまざまな日々は、すばらしい思い出に満ち溢れ、新鮮で美しい

映像となっています。

      心から、ベラ&どうぞに深い感謝と冥福を捧げます。

            合掌!! ありがとう!!

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