訃報届く、、
曾孫の訪問は、最後のお別れになりました。記憶に新しい7月7日付けで
ブログに記載しました、ドイツの<ママ>が逝去しました。享年88才。
最後の頃の写真は疲れているように見えたので、どこかで予測はしながらも、
実際にギャビーが電話口で話していることがピンときませんでした。
またしても、大事な大事な人を失いました。
昨年はパパが亡くなり、その直前、二人は亡くなるその瞬間を願う話を絶えず
していたそうです。不思議にもパパもママもその通りに逝き、最後の瞬間まで
側にいた一人娘のギャビーは願いが叶った事を、悲しいながらも安堵しています。
二人は2年前<結婚65年記念>を祝いました。その時の写真は真っ白い服、白い色が
好きだったママの写真です。私はすぐに、ドイツ、Amazonから白いバラを送り
ました。
振り返り、振り返り、お世話になった長い年月が追いかけてきます。
約40年前、ギャビーとママは、二人で私の両親を訪ね、日本の休暇を楽しみました。
その時、母に言ったそうです。あなたのように、あなたの娘を大事に出来ないかも、
でも、ドイツでは私が娘さんのママになる、と誓ってくれたのです。その意味の
大きさを後日になり理解した私は、ほんとうに幸せでした。一人娘のギャビーの
お姉さんであり、家族の一員として、さまざまな事で支えて貰いました。
周りの環境がよければ、外人であれ人との信頼感は自信に繋がり、強く生きて
いけます。日本の家族もドイツの家族も、私の人生にかけがえのない存在なのです。
ママは病弱な人で、現在66才のギャビーを出産するのに<帝王切開>をして、
その後も数々の病気を乗り越えます。私自身が娘時代から、病気ばかりでしたので
お互いは理解を深めたのだろうとも思います。
ギャビーは現役終了後、独り住まいになりママと一緒に暮らします。パパは近くの
施設に入居して事あるごとに、一緒に時間を過ごしましたが、ママ自身が
パーキンソン病となり悪化した一年前から施設に移転して、そこにも毎日ギャビーは
訪問しました。
高齢ながらも、きちんとした判断も、周りの人達への配慮もできたママはみんなから
大事にされて、ギャビーは、去る5月頃、毎日のように<旬のアスパラ>を5kgも
煮てママと仲間に食べてもらいたく、施設の玄関先まで届けたのです。
細部に気配りできるギャビー自身がママの姿そのものだと、いつも思いました。
もう、最近事情でいえば、このタイプの人達も少なくなるのでしょう。
生涯働き続けたのに、なぜ、、いまコロナで、訪問者も外出も規制されるのかと
残念がる、嘆くギャビーと私は、ママはこの数か月で、急に取り残されたような
気持になったのだろうと直感しています。
葬儀も簡略化、息子と二人でパパの墓地に埋葬して、コロナが収束すれば、
みんなでお別れ会を予定したいとのギャビーの電話です。
長い、長い年月の愛情に十分お返しができなかった、これからは
ギャビーと仲良く後に続きます。
ママ、ほんとうにありがとうございました !!
心から深くご冥福をお祈りします !! 合掌 合掌 合掌 !!