ヨーロッパと日本の私

ヨーロッパで体験した事、等々

ぬか漬け大根

真冬の寒さが効して、みごとに美味しい<ぬか漬け大根>ができ上りました。

愛好会は、特に子供達に昔からの手法で作る過程を体験してほしいと集いました。

 

真っ直ぐに育ったエコ大根を、土からユックリと引き抜いて洗う、2 週間軒下で干す、

すると、その大根は水分が抜けて弓のように曲がり、漬け頃となります。

大きなタルを取り囲んで子供達が座り、手触りがいいパウダーのような<糠>、塩、

乾いたミカンの皮、刻んだ昆布、鷹の爪を並べて、その上にきれいに大根を並べて

置く、その都度、子供達は<美味しくなーれ>と呪文をかけながら漬け込み、この繰り返しをタルの半分ぐらい迄すると、たくさんあった材料はミルミル埋まります。

しっかりと重しと蓋をして冷暗場所に約2週間保存しました。

f:id:katsukomj:20200223185647j:plain 自然に発酵して呼吸をして、開けた蓋からはなんとも言えない香り、しっとりと

<糠>になじんだ大根の姿がありました。残った<ぬか床>は毎日手入れさえすれば

長く使えて,色々な野菜を一年中、数年と漬ける事ができます。


私達は当日<おにぎり持参>の試食会、エコ野菜のお味噌汁は囲んだテ―ブルの上で、

湯気を真直ぐに立てたいい香りで食欲をそそりました。豊かな気分にしたる瞬間です。

 

大根の色、味覚、歯ごたえは店頭で見る、買うのとは大きく異なり、昔からあった日本の食材だとすぐわかりました。この味をいつ、どこで、知ったのでしょう。私達の記憶は懐かしく、優しい思いになりました。

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決して大仕事ではない、すばらしい慣習を若い人達が好んで始めれば、健康志向も一層深く理解でき、正しく<食べる>事に喜びを感じるでしょう。

 

  追伸:当地、大阪府豊中市は以前から、市民の参加する行事が多く開催される事で

   知られています。今年は第13回、豊中エコ市民大会で<畑サロン>が優勝しまし   た。日頃の成果を評価されて大人も子供も大喜びです。自然を尊びつつ、

   エコ野菜を育て、全てのイベントにその食材を使います。

   人々の心と豊かな土からは一年中、各種の野菜を収穫できるのです。

 

 

 

亀サン、鶴サン、

脅威を振るう<新型コロナウィールス>は日本国中の私達を不安にしています。

当初の<WHO>の報告からは想像もできない大きな問題になりました。

かたずをのんで状況をしっかりと理解しながら、各々が自己管理する事でしか、対応の

方法がありません。しかし、感染しない可能性などどこにもないのです。ましてや、

現代医学で適切な治療法がない事の危惧に唖然とします。平静心では暮らせません。

特に、高齢者、病気のある人、子供、、数日来、国内で感染する速さに言葉が

ありません。実際に感染された人々が色々な難題に直面しておられる事を思いつつ、

適切な対応と治療や解決策で一日も早く正常に戻るよう強く願っています。

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このニュースの前、同好会では再度の<手ずくり会>が開催されました。前回と同じ

指導者が来られて、全員が<稲わら、稲の穂とお米の粒>を懐かしく手にしました。

この画像は特に大きくしましたが、この作業が多くの複雑な行程を踏まえながら

作られるので完成品をご覧頂くためです。まさに、忍耐力と集中力が必要で、

でき上がるとその達成感で大人も子供も大喜びでした。時間さえあれば<宝船>も

簡素ながら素朴で美しい作品でした。

<手工芸>がどの時代にも人々から好まれたのはほんとうに良く理解できるのです。

特に日本人は生まれつき<器用>なのです。驚くべき生活の知恵であり<宝物>です。

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亀サンと鶴サン、吉祥と慶事のシンボルとして日本人の長い歴史に浸透しています。

その歴史から多くの歌曲、絵画や文学が生まれて、日本独自の感性の高い文化があり、

末永く私達の暮らしに影響を与えてくれます。亀サンと兎の話、浦島太郎の童話等、

いかに、後世に継続するのか、大勢の人が考え願う事でしょう。

 

今回の新型コロナウィールスが、<亀サン>のスピード感ならよかったのに、、と。

現代社会は急速に<なりふり構わず>歩き始めてしまったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

カー二バル、La Palma島、No.2

2月24日(月曜日)が本命のラパルマ島のカー二バルの前夜祭や前祝は島の

至る所でも開催されていて、ロスイヤノス市のお祭りはすでにお伝えしました。

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この本命の(お祭り)は,首都Santa Curz de la La Palma (人口約22,000人)で

あります。島全体の人口が約8万人位、しかし、昨年の訪問客は約65,000人だった

そうです。この島に、この機会に来る外部の観光客が急速に増えているからでしょう。

小さな島のホテルは満室なので、大型のクㇽーヅ船が停泊、この(月曜日)の見物を

オプションに組み入れるのです。

 

カナリー諸島の人々は,憧れの南米、特にキューバ、べネズエラに移民して行き、

成功して<故郷にに錦を飾る>その喜びを表現するための<お祭り>です。

人々は、真っ白い服を着て、帽子をかぶり、瓶に入った<べビーパウダー>を

相手かまわずに散布するのです。

もちろん、完売しないよう早くから買い込んで数本持っていくのでしょう。

瞬く間に、誰もが真っ白い顔と服になります。これも朝から夜まで、休みなく。

道路も真っ白で滑りやすくなり、寒い時はアㇽコール持参で暖を取ります。

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平行して,ゆかりのある逸話や動物も勢ぞろいするため、この日のための用意は

早くから始まり、散財も多くて、島の人々は<金欠状態>となりますが、この日なし

ではすべてに、意味のない一年なのでしょう。現地に永住している外国人もこの日には

出かけて騒ぎます。道路規制が厳しいので、遠くに駐車して、歩く、歩く、ほんとうに

見物の価値充分なお祭りです。

 

    カナリー諸島でも、この<真っ白>になるお祭りは、テネリフェ島

    ラパルマ島が有名、旅行のお好きな人にはぜひお奨めのスポットです。

 

      

 

 

 

 

カー二バル、La Palma島、No.1

       こちらでも、カー二バル 2020が始まりました。

    「 ( dia de los Indianos)  2番目に大きな街 Los Ilanosにて」

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           Los Ilanos市(人口約2万人)市役所の正面玄関

現地に住む日本人の友人は、早速<youTube>と写メールを送ってくれました。

       なんと、今年の<テ―マ>は「日本」です。

情報が飛びかう時代になったとは言え、日本から遥かに遠いこの<ヨーロッパ最後の

楽園>にも間もなく日本で開催されるオリンピック、又、和食等、現地の人達の興味を引く「日本」があります。友人はその情報を知った時から、きっと「中国式日本」だと

疑惑を隠し切れなかったけど<youTube>を見ても、写真を見ても失望します。   f:id:katsukomj:20200215120517j:plain

その上に、見物する人達は「中国shop]で着物や付属品を買い込んで、自分で着て街に

散策していたそうです。日本人として目を塞ぎたかった、、と。しかし、なにをそれ

以上期待できるの?と返事をする私です。<島国>の外部に対する興味はどの場合も強烈です。おおむね、日本もその例外ではなかったのでしょう。異文化を正しく理解する事はほんとうに難しい事です。

 

しかし、時間を重ねて、相互を受け入れる時代のある事を、殆どの国民は根気よく

経験してきたのです。だからこそ自国を誇りにして生きていけるのでしょう。 

    現在の子供達が成長して新しい時代を迎える時には、この遥かな地でも

    正しく日本を理解する時があるのだろうと期待します。

  

 

 

 

義弟の余韻

     訃報を受け、悲しんだ義弟の葬儀は無事に2月7日に行われました。

姪から多くの知らせを受けました。新聞広告に報道された事もあり、当日は130人の

弔問客が来られたそうです。Emden市営墓地の中にある、プロテスタントの教会で

ミサがあり、その後、埋葬地にみんなで歩いて行き、最後の別れをします。 

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姪が見た遺言には火葬して、遺灰を土に返してほしいと書かれていたとの事です。

義弟らしい静かな言葉が聞こえるようです。ドイツの習慣として、土葬、個人用

火葬の墓地と遺灰は合同で名前を記念碑に刻む、3種類の埋葬を選べるのです。

現代のめまぐるしい時代の影響は、日本でも問題化される風化する墓地と同様に

ドイツでも、大きな土葬用の荒れた墓地を見るのは、特別に悲しい状況です。

義弟は多分その事も踏まえて決心したのでしょうか。

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幸いにか偶然か、私の主人とは10メータ位の近さになりました。二人は土の中でも

昔のように一緒になりました。

広い、明るい墓地は、春になると新緑が輝き、お参りを兼ねて市民の散歩する公園と

なります。歩きながら、義弟夫妻が噂する亡き人々の名前をよく聞いた私達夫妻は、

生まれて育った街で、成長の時も亡き後も、共に生きた証を分かち合うのだと思い

感動したのです。

亡夫の埋葬・墓地に関しては後日、別の記事にしますのでご拝読下さい。


義弟は警察官で、姉妹都市のイギリス、ロンドンへの相好訪問のため、長年英語を

勉強、自転車の好きな亡夫同様、生涯スポーツを趣味にしました。

1992年、一人で綿密な計画を立て、スぺイン、バルセロナのオリンピックを目標に

自転車旅行、宿泊はドイツ、スイス等、ユースホステルの設備の良さを利用しながら

完走したのです。帰路は自転車は国鉄に載せ、自身はDuesseldorfの私達の家を訪問して

くれました。数年後、視力が落ちて自転車を断念した時でさえ、愛好者の仲間の

ご夫婦が声を上げ、Nordkapp(北極)迄の完走を計画、<二人乗りの自転車>の

後ろに義弟が、先方をご夫婦が交代で運転して同伴、完走しました。

まさに人間愛の溢れた話は、現地の新聞に、バルセロナの時と同様大きな記事に

なりました。

金婚式を盛大に祝い、連日は静かな二人は最後の最後までオシドリ夫妻でした。 

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全力を出し切って見事に生きた人生を誇りにする家族ながら、私は名残り尽きず

もう少し一緒に話がしたかった、、余韻がドンドン押し寄せてくるのです。

聖バレンタインデー

    皆さんは今日の聖バレンタインデイをどのようにお迎えですか。

連日のチョコレ―ト売り場は、さまざまな種類が山盛りされていて、誰もが

一番すばらしいのを選ぶために一生懸命でした。

私には大変不慣れな情景でした。ドイツ、スペインでは見られなかったからです。

 

日本にこれほどに定着した聖バレンタインのプレゼントを買う習慣は、新しい文化の

一つであり、特に<カップルの愛を誓う日>の意味から理解できるのですが、少し

原点を見違えているのではないかと。

もちろん、この時期には色々なチョコレ―トが製造され、工夫されて市場に出るから、少しでも、すばらしいプレゼント選びには最適、しかし、チョコレートはいつでもあるし、<愛>を誓う事は毎日できます。

女性が意思表示として男性に渡す、これも、昔も今も、どの日でも選べます。

 

大事なこの日、プレゼントを開ける時の喜びで一層に心温まり、愛を確認できるように

祈りながらも、毎日がプレゼントがなくても聖バレンタインデイでありたいと、、

思いますが皆さんはいかがお考えですか ??

                                          f:id:katsukomj:20200214112432j:plain画像はお借りしました。

 

建国記念日

         令和2年2月11日 建国記念日です。

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明るい太陽と風になびく国旗は誇らしげにこの日を祝っています。

最近は以前のように見れなくなった、と多くの人が感じていませんか。

紀元節>と呼ばれた時代から、戦後のGHQが打ち出した方針で、日本国民は、

神事・仏事を変更する事になり、昭和23年(1949年)法律ができて、(1966年)に

祭日が実施されました。50年足らずでその意義よりも祭日を重んじる傾向がある程に

豊かな国家になったのでしょうか。<国を愛する心を養う>精神を、将来に向けて

育て上げたいと願うのは私だけでしょうか。 

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   ドイツ連邦共和国東西ドイツ統一を記念して10月3日と定めました。 

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< Tag der deutschen Einheit> 首都ベルリンは毎年大きな祝賀会をしますが、

東西に切断された一つの国・国民の感情は永久に消えない、苦しい時間でした。

かってのボンが首都であった1954年から1990年の間の政治家の底力が現在のドイツを

気づき上げたのだと努力と労を感謝するドイツ国民も多数でしょう。

ドイツ旗の3色、勤勉、情熱,名誉を私は長年親しく見たためか、ホッとするのです。

 

   カナリー諸島(7島)はスペイン領の群島。毎年5月30日が記念祭日です。

<dia de Canarias>は現地に於いてクリスマス、復活祭に続く大きな行事です。独自の

政策で免税国を貫き,1961年の独立運動に成功して、1982年以降、カナリー自治州の

州旗を象徴としています。この日はスペインの国旗とカナリー州旗が一緒に掲げ

られます。島の源点に<犬>の伝説があるので、旗の真中には2匹の犬が立っています

          f:id:katsukomj:20200210114539p:plain スペイン国旗                  f:id:katsukomj:20200209121849p:plain カーナリー州旗

季節もちょうど一年の節目、現地のお祝いム―ドは一層華やかになります。

ちょうど、その日の夜,亡夫は病院で亡くなりました。夜も遅いからと、連絡するのを

ためらった私でしたが電話した全員が在宅中、夜中に島の至る所から駆けつけて

くれました。<dia de Canarias>だと友人達は言ったのです。彼はその瞬間迄も

        愛した島と人々との事を思っていたのだと。

 

それぞれの国民は激しい時代を乗り越えた過去を知り、国家・国旗を掲げる誇りを維持したいと考えるに違いない祝日であり、祭日でありたいと願う事でしょう。