#金木犀
雨上がりの太陽が秋を深める朝、窓を開けると、いい香りが立ち込めています。
<金木犀>が今年は小さな花を一杯つけています。急に華やかな思いになる
自然の香りをこの時ばかりと吸って、深い深呼吸をくり返しました。
秋をこんなに近くに感じる季節になっているのですねぇ、、!!
夜になると、さらに香りはたちこめて、広範囲に甘い雰囲気を届けてくれます。
満開の小さな花が枝に一杯だから、当分の愉しみが増えそうです。
肉厚の濃い緑色の葉っぱも輝いて、どこかミカンや椿を思わせます。
早朝の通院の途中、約300m位の垣根に植えられた<金木犀>は人の背丈ほどに
伸びていて、ちょうどいい香りを吸える高さです。<金木犀>の前にはツツジが
一段低く植えてあり、2種類の開花を楽しめるように工夫されているのです。
その公園の真中あたりと両端には、3m位の大きな金木犀の木がありそれも満開です。
大きな桜の木も交互に植えられていて、長い年月が相乗効果を作りみごとな
季節感を感じました。ふと、足を止めてこの自然の恵みを喜んでいます。
<金木犀>は排気ガスに弱いとか、だから、最近の都会には見れなくなって
いるそうですが、大都市、大阪から約20km、ここ北摂では至る所で見かける事が
できます。
花言葉は<謙遜>すばらしいですねぇ、、!! 人を引き付ける香りを
ひそかに秘めて秋を、私達に感じさせてくれる自然に感謝しましょう !!
豚饅頭
体調を崩しての休養中に、友人から (小花のブーケと豚饅頭)が届きました。
まさに、この年令でも(花より団子)、と懐かしい豚饅頭=豚まんを頂きました。
一年に2-3回、お店の前を通る時、行列がなければ買うぐらいでしょう。
ですが、この度はこの豚まんの味が懐かしく、又、美味しくて感激しました。
真っ赤な色の箱が大阪名物になり、その名前も味も確かであることを示すロゴです。
店頭で湯気の立っている蒸し器を見ているだけで、幸せな気持ちになり、
その真っ白い丸い形は不思議に魅力的です。もちろん、その味は,トロリと
した豚肉と玉ねぎの兼ね合いで、真っ白い皮に辛子を少しつけると一段と
引き立ちます。
子供も大人も、ほゞ誰でもが馴染んでいる大阪発のすばらしい味覚です。
珍しい名前の由来を知りたくて調べたら、、、 5(コ)5(コ)1(一番)の味と
サービスを目指そう、、当時から現在も使われている電話番号からヒントを
得た創立者のアイデアとあります。75年の歴史を作った大阪魂の商法では
ないでしょうか。
全国に向けて通販網は広がり、日本人にピッタリと寄り添う(食)を作り上げた
発想に敬意を表します。
当時のままの、手ずくりの細やかな作業工程を、私は時々店頭に立って
見物します。機械化されない、これも優れた日本式(ものづくり)の一例だと
思います。
短い時間にいくつの豚まんを作るか、かなりの訓練が必要でしょう。立ちづくめで
働く人の額には汗が滲んでいました。木製の大きな蒸し器を4-5段重ねて蒸すと
ほのかな湯気が立ち、早速食欲をそそります。手際よい仕事ぶりが店内に
みなぎっているのです。このすべては、作り方も、味も、個人の領域をはるかに
超えているから、ますます(お土産)No.1 になったのではないでしょうか。
大阪天満橋に(松阪屋)があり、地下の食品売り場の一角に(蓬莱551)の
売り場があった頃、私達夫妻が初めて家族を訪ねた時、ドイツ人の主人は、
日本に関して、かなりの知識は持っていましたが、生活する数週間はすべてが
未知の事でした。その時は5週間滞在して、食事、暮らし、旅行、訪問、見物と
かなりの予定でした。私は現役時代、営業のため、母に主人と過ごすよう頼んで
出張も兼ねた訪日だったのです。
帰宅すると、なんともうれしそうな、誇らしげな主人の顔でしょう。話は
止まらずに母と二人で松阪屋の(蓬莱551)で豚まんを買ってきて、
ランチにしたと、、。
思えば、ドイツ食には、この豚まんに似た料理は多分はありません。
私自身、忘れそうになるすばらしい日本の味覚を説明しないで訪日したのです。
主人は、滞在中になんども母と松阪屋に行き、その度に母に大川のオゾンを
吸ってもらうよう歩くのだと自信一杯でした。それは、本人自身が、自身の母と
そのような時間を持てなかった過去の想いと、心の通じた私の母への、私の家族への
感謝だったのかもしれません。
2度目の訪日で私達は婚約の知らせを家族全員に揃ってお祝いして貰いました。
その頃、日本企業も500社近く、日本人学校も約1000人の生徒が在校する街に
なったDuesseldorf市の(Alt Stadt-旧市街)に日本レストランが開店、なんと店頭に
豚饅頭を「蒸籠」で蒸して売り始めました。レストランに入らなくても、
豚まんだけ買えるよう工夫したのでしょう。ある寒い夕方、仕事の帰りに
見つけた時の私達の驚きと感激を想像して下さい。
ドイツでは「立ち食い」が簡単にできます。
早速私達も立ち食い、お店の人と話しが弾み仲良くなり通い続けたのです。
豚まんの後は2軒向こうの(Altbier=黒ビール)を飲む定番コースとなりました。
友達に伝え、でなくても、珍しい国のレストランができると好奇心いっぱいの
ドイツ人は、その後いつも行列を作って待つ人がいる有名店になりました。
庶民的な場所に親しみやすい雰囲気とオイシイ味覚で日本の別の顔を
見事に広めたのです。
市内には、高級レストラン(日本館)が1960年代に開店していて、企業や招待客に
大事な交際の場でした。主人は当時から独日協会の会員であり、報道関係者でしたが、この豚まんの庶民的である魅力に取りつかれたのでしょう。
その後も、大阪蓬莱551の発想と成功を
度々話し合う私達でした。
鮮魚
朝夕が過ごしやすくなると<味覚の秋>が楽しみに加わります。
しかし、ニュースでみて驚くのは<秋刀魚の不漁>です。漁獲しても細いやせた
秋刀魚、その上に高い値段はサンマが庶民の魚でなく、鯛と同じような価値のする
魚になったそうです。たしかにス―パーでみたら、なんと1尾が ??
シーズンは短いので、今年は油ののった秋刀魚は数回だけ食卓にのるのでしょうか。
不漁の原因は、乱獲、海水温度上昇、、またもや異常気象も影響されます。!!
夏の太平洋の水温が30度にも上がり、風、雲、波のすべてが台風を生み出し、
魚も捕獲できない日本列島の気象状況を予測している私達ですが、身近に迫って
いる問題は日常にも大きな影響を与える事の感覚に触れています。
温暖化は日本だけでは解決できない、もちろん世界中の大きな課題ですが、
漁業と深くかかわる日本人の生活に正面から打撃を与える問題なのです。
子供の頃から、私は秋刀魚の文字、きれいな姿と色が好きで、季節になると母と
一緒に近くの市場の魚屋さんに行きました。その頃は、裏庭に(かまど)があり、
端っこに炭をおこして金網で焼き物のできる一角があり、丁寧に焼いたのです。
煙が多い程、油がのっていて味は抜群でした。新鮮だから、匂いもなく、
毎日でも食べたい秋の好物魚でした。
昔から(落語)のテーマで庶民の生活を表現、多くある魚の中でも一番季節感を
伝える魚でしょう。
焼き魚の代表的な秋刀魚もさることながら、真夏の日本の猛暑の真っただ中で
私は毎年のように、日本の流通システムを驚いています。気温が30度を超える
日でも、ス―パーでは新鮮な<刺身>が山のように売り場に並んでいるのです。
ヨーロッパでは考えられない事であり、その味の確かさに毎回言葉をなくします。
「生魚」を食べる、、ヒャーと叫ぶヨーロッパの人達の驚きの表情を
忘れません。しかし、現実には、日本食が「世界遺産」に登録され、外国人が
刺身を、寿司をペロリと食べる時代を迎えています。健康志向になった現代人の
好みと栄養を満たしてくれ、今後もさらなる日本食ファンが増えるでしょう。
日本独特の自然環境が食文化を築いたのであり、四方を海に囲まれた、恵まれた
風土で生活を守れたから、だから永遠に継続される食文化を願うのです。
**お寿司を食べに行くと、魚編の付く文字が読めなくて困りました**
**皆さんは全部読めるのでしょうか。まさに日本食文化の奥深さです**
現在では需要と供給のバランスが取れない時は、あるいは取れていても、さらに
豊かな生活を望むため、輸入魚が世界中の海から届いて、スカンジナビア諸国、
ロシア、アラスカ等の産地を表示した魚、東南アジア諸国のエビ類、南米漁等、
魚好きの日本人の食欲を満たす流通システムは止めを知りません。
魚が好きな私の楽しみがなくならないよう、それもできれば近海魚を四季を通じて
食べたいものですが、皆さんはいかがお考えですか。
折にふれ、私達は (食)に対する意識をよくも悪くも考えるべきでしょう。
ヨーロッパ大陸で数十年暮らしながら、なんども、なんども、災害国日本を
思いました。共有できなくて、思いを馳せる気持ちだけが膨れたのです。
大陸性の揺るぎないヨーロッパで続く長い歴史と比較して、気象条件が人間に
与える影響を考えるのです。石の文化ともいわれるのは十分に裏付けがあり、
一度建った教会、家屋は延々と壊れません。
災害と戦う日々に、人々は季節感あふれる日本各地の食材にどんなに力を得た事
でしょう。打ちのめされても、立ち上がり、今度は被害者にお礼として届ける
産地の新鮮な食材、、細やかなセンスは必然的に日本人の暮らしに密着して
いたのです。
その事が、私の日本での暮らしを理解する大きな糧になりました。
自然環境が穏やかであれば、もちろん私達の暮らしも安泰です。
人々の願いは慎ましく、謙虚なのです。だからいかに、地球を、美しい海を
守り抜けるか、、課題は大きく、重いのではないでしょうか。
神無月の満月・Hunter's Moon
** Googleのすてきな画像です**
「中秋の名月」とも「十五夜」とも呼ばれる満月が最も美しい10月です。
Hunter's Moon =狩猟月、アメリカの呼び名もこの季節のいい表現ですね。
1か月に2回満月がある月の2回目の満月を(Blue Moon=-ブルーム―ン)と
呼び、今月は10月31日になります。アメリカの有名な歌手
フランク シナトラの甘いメランコリックな歌は今でも懐かしいです。
歳時記には地方のさまざまな習慣とその利用がわかりやすく書かれています。15夜に関して読んだら、下記のような記事があり、私は10月の 満月が15夜だと勘違いしていたのを知りました。
** 十日夜(とおかんや)**
お月見といえば、旧暦8月15日の(十五夜)が定番ですが、秋の伝統的なお月見はこの日だけではありません。旧暦9月13日日の(十三夜)、旧暦10月10日
(十日夜)、と、3回行われることもありました。
(十五夜)は別名「芋名月」(十三夜)は「栗名月」「豆名月」と呼ばれるように、
お月見は名作物の収穫祭でもありました。十日夜は東日本を中心とした稲の収穫祭で、
お月見をするほか、田の神に餅を供えたり、藁束で地面を叩いてモグラを追い出すまじないをしたり、役目を終えた案山子(カカシ)を祭ったりするなど、内容は地域によって千差万別です。西日本では「亥の子」という行事が十日夜に対応しています。
旧暦10月10日は、今年の新暦では11月24日に当たります。お月見というより
収穫祭の性格が強い十日夜ですが、秋のお月見シーズン”締め”として、忘れずに夜空を見上げたいものです。
いけばな・嵯峨御流のお稽古日は毎週火曜日です。大阪、天満橋の園芸社、4階の
お稽古場に「ススキ」が届いていました。田中美智甫先生が丁寧な指導を始めて、
まだ開いていない穂先を丁寧に開けて,そっとススキの柔らかい穂を取り出します。
そして、お生花をいけます。数本の「ススキ」を見極めて、大きな穂と葉を
つけたのを水盤から真直ぐにいけ、次の枝を選び添えて形を組み合わせます。
お生花には決められた形がありますが、最も美しい姿にできあがる事の難しさを、
この「ススキ」からも一年に一度のお稽古として貴重に学びます。
左のススキは一色ですが、真中の図表のように赤、白と色を変えていけ、
中間の穂と穂の間から、お月様が見える「月の座」を表現します。優雅な格式高い
古典の世界があります。
嵯峨御流発祥の地は、京都嵯峨大覚寺です。嵯峨天皇が別荘として愛した嵯峨野で
慈しんだ古典文化は、1200年の時を刻んでも現代社会で輝く力を持っています。
大沢の池に船を出して満月を愛でる、その時間の豊かさを十分想像できます。
広大な境内には、大沢に池の東側に広沢の池もあり、その静寂と植物の美しさは
京都の誇る地でしょう。
心が華やぐ満月も10月は特別な期待をして、天気予報を聞き、なんども夜空を
眺めた時、誠に明るい美しいお月様がケヤキの大木の間に顔を見せてくれました。
安堵して、、よかった今月も合掌できました。
季節が変わる、、その雰囲気を十分に感じます。大勢の人が同じ思いでしょう。
千代子さんと政雄さんの住んでいる<Las Palmas>はあいにくの曇り空でしたが、
それはそれで、風情のある写真を頂きました。ありがとうございます !!
不安ながらも半年ぶりにコンサ―ト行きました。会場の<Alfred Kraus>は徹底した感染予防策をとっていて驚きました。複数の出入り口を設け、
1500席を300席に限定。一列おきに空席か二人の間は空席3席。
もちろん。入場時はすべての検査で、これなら、次回も期待できると話しました。
芸術の秋です。コロナ対策が徹底されて、私達も自己管理をしながら、
美しい事に,心ときめかす事にドンドンふれましょう!!
百日紅・サルスベリ
日没が早くなりました。17時43分に日の入りです。暑さ寒さも彼岸まで、
と言われるのも今年は特別な思いで体験しています。猛暑が長くて、あまりにも
きつかったので、私はあの日々からいまも抜けきれないままのようで、秋の
到来を実感できないのですが、、、
**実をつけて、花も満開でこの時期に新鮮です**
毎日の午後の散歩を、早めて少しでも太陽も当たりたいと考えていますが、
気づけば大きな樹木も初秋の景色となり、その中で最後の色彩を残している
サㇽスべリが目に留まりました。中間色の色、ピンク、薄紫等、そして毅然と
誇らしげな真っ白の花をつける木は、夏の最後の風景を楽しませてくれました。
百日近くも花を咲かせるから、この名前の由来があり、中国南部に多い木です。
日本ではお寺、寺院の庭に植えられる伝統もあるそうですが、私の近くではたくさん
目に留まります。近くの公園には3-4本大きく育った木がありました。寒さに弱い
南国育ちの植物と記録があります。
<猿が滑る>どんな幹かと、子供の頃から関心がありました。確かに若い木は
白い肌の一部が剥けたような幹があり、だから猿が昇ると滑るのかと、、と
想像したものです。
名前の由来と関係があるのかどうか、ご存じの方は教えて下さい。
ベルリンの磯さん
「芸術の秋」「スポーツ゚の秋」ドイツの短い秋を飾るさまざまな行事が、今年は
Covid-19のパンデミックで中止か縮小されます。人々はこの頃から、クリスマスの
話や計画を始める時期ですが、、コロナ感染者は一日で約8000人と聞きました。
そんな中、磯益子さんは勇気を持って展来会を開催します。コロナ対策を十分に
配慮して日独センターの活気と訪問者を期待しています。
9月25日から来年の1月8日迄の長期間、一人でも多くの人がお出かけ
くださるよう、友人の私からもよろしくお願いします。日本から拍手を送っています。
会場 Saargemuende Strasse 2 14195 Berlin
UB,U-Bfh.Oskar-Helene-Heim
Tel (0)30 83907 - 0
www.jdzb.de
入場料無料
小柄な磯さんのどこに、大きな作品をドンドンうみだすエネルギーがあるのかと
思う私です。<道>を定めてまっしぐらに芸術と自身の人生に向かい合う姿は
研ぎすまれた<禅>の思想でしょうか。日本人の作品をドイツ人はよく理解し、
高い評価を与えます。ヨーロッパの芸術と、日本の文化のコラボㇾ―シォンが
みごとな展来会となり、成功するよう願っています。
イギリスから、、
数日来の朝夕の気温の差で、散歩の途中の景色も季節感を見せ始め、桜の葉が
黄色くなりパラパラと落ちています。銀杏の葉も色づき少しずつ紅葉する樹木も
長い夏の猛暑によく耐えたと感動します。
イギリスの夏は短くて、アッと気がつくと秋、晩秋、雨が降り長い冬の支度に
なります。優子ちゃんとご主人は最後の収穫の写真をiPhoneに収めてメールを
くれました。 豊作は<トマト>!!
近所に住む娘家族と一緒に食べても食べても食べきれなかったそうです。
野菜畑は日当たりの良い所にあり、気温が30度近い日は水やリが
大変だったの事です。
土いじりが好きな二人の趣味と実益が家族を豊かな夏にしました。
*** 去る4月27日付け、ブログに畑のようすを掲載しました ***
又、日本の秋を思い馳せた優子ちゃんは<コスモス>の花のコーナーを作り、
いまが満開で、優しくてかわいい花を愛でているとの、喜んだ知らせです。
ヨーロッパであまり見かけないかよわな花をいい土壌に変えて育てたのは
彼女らしいまじめさでしょう。来年は落ちた種から、もっとたくさんの
コスモスが芽を出して楽しめると思います。
予定している一時帰国の来年の春は新型コロナウィールスの収束がどのような
状況になっているか、、との事、ヨーロッパは早い冬支度、インフルエンザが
猛威をふるうのを重ねて考慮すれば我慢していてほしいと願っています。
必ずや、お互いが無事でうれしい再会が実現する日があるでしょう、、と。