ヨーロッパと日本の私

ヨーロッパで体験した事、等々

Helgaと出会う

    ことしも <Helga=ヘルガ>にクリスマスカードを送ります。    f:id:katsukomj:20191210094753j:plain

                 Frohe Weihnachten<ドイツ語> Feliz Navidad<スぺイン語>                  

     

無事に老人施設にいる彼女が受け取って読み、喜んでくれるのか、過ぎた時間からは想像するだけですが、近くにいる娘が気づいてくれるかも、、wie geht es dir ? 

どうですか、と短く書きましょう。あなたの好きだったスぺインの海を想像して。

 

私は、1976年の秋に友人の紹介で、引っ越した快適な部室とテラスのある森と湖に囲まれた住宅で暮らし始めました。ドイツ中部の都市Duesseldorfは有名なルール工業地帯で、当時すでに日本企業が進出して、日本総領事館、日本商工会議、日本人学校や日本クラブが日本人社会をバックアップしていました。当時のドイツの政党は主にSPD,CDUとFDPが中心で各都市にその代表者として3 市長が選出されます。偶然にも私の入居した住宅の大家さんは、このFDP 代表の<Buergermeister Recht氏>の住まいの上でした。この人は第二次世界大戦ソ連に捕虜されたとか、又、当時の日本総領事も同じ体験をされた人で大変意気投合されたとも聞きました。このFDP党は外交面での

活動が主で外国企業に貢献するため、当時の日本企業誘致には大変貴重な存在の人

でした。当時,ドイツ副首相外務大臣の Hans-Dietrich Genscherが党首として活躍した時なのでご存知の方も多いと思います。

この中都市で日本との間に、経済、文化、等の交流が始まり、ドイツ各地の都市に比べると日本人が一番早く根をおろした街になったと言っても過言ではありません。

 

この Recht 家 には一人娘がいて、なにかと彼女は私に興味があるので、私も妹のように仲良くなり、クリスマスツリーの飾りつけを教えてもらったり、イブの夕食に誘ってもらう等、家族のように迎えられる珍しい経験をしたのです。

 

長年にわたりこの家の全部の掃除をするのが Helga  さんでした。皆さんはすでに聞いたかもしれませんが、ドイツ人はきれい好き、、床に落ちたものを口に入れてもいい程、又、家の外から見える窓ガラスが汚れていると注意される等、数えきれないほどの

共同生活者としての義務を強いられます。ある日、大きな窓ガラスの掃除が上手にできない私を見て、Recht夫人が Helgaさん に頼んでみたらどうかと提案します。

Recht 家で働く彼女は、銀製のフォークセット、Recht氏が生涯好んだ東洋の陶器類の手入れ、他、もちろん家中の掃除をテキパキとする仕事ぶりは日本でみた事のないものでした。

私は日中は勤務、週末の土曜日は掃除、洗濯と買物、日曜日は一週間貯めた書類、手紙の返事、折々のコンサ―トや誕生日の招待で外出もあり、窓拭きには関心がなかったので、是非もなく Helga に依頼しました。

 

Helga はシングルマザー、息子と娘の双子を育て上げ、息子はアメリカに留学、

娘は小さい時から大好きだった動物の世話をするための勉強を終えて就職、その後も

好きな馬の世話や獣医で働きながら、一頭の馬を飼い乗馬を楽しんでいます。

 

Helgaは子供時代を過ごした北ドイツで母上に学んだすべて、彼女の誠実、勤勉、

寛容と健康志向の生き方を貫き、決して挫けない強い精神力を持っていました。

私は、この人にドイツ人気質、考え方、等を数年にかけて教えてもらったのだと

確信してます。社会保障を受けながら懸命に働き、人としての誇りを持っていました。

<よく働き、よく遊ぶ>今では普通の生活意識は、当時のドイツでも厳しい事だったの

ですが、笑顔と明るさで多くの人から尊敬されていました。

彼女はいつも自転車で農家に行き、その日の出荷にできなかった壊れた卵をたくさん買い込んでケーキを作り、地下室の冷凍庫に保存します。安く新鮮な季節ごとの果物、野菜を水煮して、瓶で保存、それは見事な備蓄と安心感を感じさせました。

堅実に生きる知恵を代々に渡り引き継がれたドイツ人の生活感だと思いました。

 

彼女の趣味は<社交ダンス>、毎週日曜日は見違える服装で、終日をダンス界で仲間と

過します。ある時、私は一度そのダンスを見せてほしいと頼み同伴したのです。

ライブ音楽で60人位の人でにぎわうホールをほんとうに驚きました。

Helga はその別世界で無心に 見事に美しいダンスを楽しんでいたのです。

    

           f:id:katsukomj:20191210103450j:plain

Liebe Helga, wenn ich wieder nach Duesseldorf komme,dann bringe ich dir viele Rose,weil du damals aus deine Garten immer wieder auf mein Tisch gestellt hast.