ヨーロッパと日本の私

ヨーロッパで体験した事、等々

女児誕生 

   新しい年の喜びは一段と明るい知らせで心躍る感激となりました。

産声を上げて数時間後の電話と写メール、そして、お祖母ちゃんになった、との

Gabi (ギャビー=ガブリエル)のはち切れそうな声に飛び上がる思いです。

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       お父さんの大きな手の中の赤ちゃんをみて下さい!

1人息子のフィリッペ(Phlipp)は晩婚、私はこの人が生まれる前から、お祖母ちゃんの

Gabiを知っていて、ドイツ人で初めての友達であり今でも<姉妹>として家族の

1人となりつき合っています。予定日が近づくクリスマス、新年の間も落ち着かず

度々電話をかけてきました。もう安心、、ママも赤ちゃんも元気で、、ほんとうに

心からオメデトウと繰り返しました。そして私には<あなたの姪の名前は Mariella >なのよと。

 

急に安堵すると、、これも自然なのかどうか、私の中ではGabiとの出会いが逆流する

ように蘇り、この私の気持ちがお祝いであり、今後の彼女の力になってほしいと願う

のです。この人に出会ったのは、Duesseldorf市の大きなキリスト教の<女子寮>、

25人位いました。1つの部屋に3人が住んで共同生活をします。食事の時はバイブルを

読み、夜間の門限も厳しい規則がありました。Gabi は義務教育を終えた、17才だった

でしょう。英国航空に就職したくて、正社員になる前の<職業訓練>を2年間この

街で受けるため入寮したのです。もう一人は美容師になる訓練、私はドイツの

生活を始めるため。紹介状を持って日本企業の人に相談したら、快く一緒に探し、交渉して仏教徒の私を迎えいれてくれたのです。ここで私は別世界のさまざまな経験を

しました。

週末になると、Gabiは両親の住む<Bochun 市>帰り、一人娘として1週間の積もった

話をします。その折々、両親が私も一緒に来るといいのにと、との好意がいつも間にか

私達を姉妹の関係のようにしていました。ドイツ人、若くても、Gabiは私なぞより

はるかに大人で、私はこの家族を、両親をいつかパパとママと呼んできました。

Ganiは英国航空の正社員になり、空港勤務、市内のオフィス等、昨年、定年退職をするまで、実に45-6年働き、最後は<super veisor=管理職>でシフト制の厳しい勤務を

成し遂げたのです。

離婚をして、直面した子供(Philipp)の教育を受け持ったのは両親でした。

自動車でも2時間以上かかる2軒の住まいを走りまくっのはママ、パパはオペル車で

生涯働きました。決して子供を施設に預けないで自分達で育てると宣言したのです。

Gabiはその両親にどれほど感謝したか、私は1昨年会った彼女の姿から十分察る事が

できました。

病弱だったママが看病できなくなると、近くの施設にパパを入居、そしてママを自分の

住まいに引っ越し、以前の家をたたみ、現役でもいつでも両親の近くでいるように

配慮したのです。現在のドイツなのに、むしろ昔の日本の家族を思いだしていました。

その間は、10年位の年月、この家族はすばらしい結束をしていました。そして、パパは

たった一人の孫にいい奥さんと子供が生まれる事を最後まで願いながら、昨年春に

亡くなりました。       f:id:katsukomj:20200109182154j:plain

 

  赤ちゃんがスクスク育つように願っているのは、私の両親も全く同じです。

英国航空で働く特典で、Gabiは最初は私と日本訪問、次回はママと、その後は

友達や一人で来て、その都度、私がいなくても私の両親とほんとうに楽しそうに過ごしていました。特に離婚問題で苦しかった頃はなによりの回復力をもらっていると言って

いました。又、私の両親もドイツでお世話になっている私のお礼とも思い一緒に奈良や、菊の枚方園等行ってくれました。その都度に私の家族もいつも間にかGabiを好きになっていました。  いつか行くから、、それでいいのよ、、と繰り返す私達です。

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女児誕生の喜びは亡き家族も共有してほしく、Gabiは早速パパのお墓に花を飾ったと

信じ、施設に入っているママが一日も早く赤ちゃんを抱っこしてほしいと願うのです。