ヨーロッパと日本の私

ヨーロッパで体験した事、等々

春のお彼岸

気温は17度、太陽は明るく、風もない春のお彼岸を迎えました。暖冬との予報は

あたり過ごしやすかったけれど、春の訪れは誰もが待っていた大きな喜びです。

しかし、突然に中国で発生した<新型コロナウィールス>の脅威は真冬の長い時間を

押しつぶしました。春の陽気と共に、勇気や力をこの困難な時に育みましょう。

 

春と秋のお彼岸、お正月とお盆に必ず私は両親のお墓参りをします。体調が許す限り

続けたいのです。バスの混まない朝一番に行きました。早朝のお墓は静かで朝日が

輝いていました。墓石をきれいに掃除して、たくさんの花を飾り、線香をあげて、

般若心経を読みました。両親に話す事は今回も多く、又、来ます、、と挨拶をして

一歩一歩と別れました。両親を近くに肌で感じるありがたい安心感に包まれる

時間でした。

 

両親は、子供達の近くに墓地を買いたいと望み、4月8日、お釈迦様の誕生日であり、

花まつりの日に納金したと聞きました。よかったねぇ、、と私は母にドイツから手紙を

出したのが着くかつかない間に、父は急死したのです。ちょうど10日後の事でした。

母は<なにも思い残す事のないよう準備した>と話しながら<虫の知らせ>だったと

繰り返して言いました。偶然にも、ドイツから私は亡くなる5日前に父に電話して、

<変わりありませんか>と聞いていたのです。その直後、父は満願の笑みを浮かべて、母に<声を聴きたかったらしい>と話したのだそうです。母は、あれほど、嬉しそうな

父の顔はほんとうに久しぶりだったと、私の電話を喜んでくれました。

これも、まさしく<虫の知らせ>だったのです。静かな父の声と姿を思い、最後の

別れの一言もなく逝った父を追いつつ泣きました。急遽、帰国したのですが、すでに

父のお骨上げの日で、真っ白い大きなお骨を号泣しながら集めました。

 

 お彼岸の墓地を歩く老夫妻の姿を見ながら、ふと気づいたのです。私の両親は一緒に

ここにお墓参りをしていないのだと。そして父の急死にオロオロしながら、一人で

毎月命日にお参りに来た母の当時の気持ちを今年は特に思いました。

2度の交通機関の乗り換えを、どんな季節にも、約15年位通い続けながら、いかに

寂しい、心細い思いだったかと。子供達が同伴するのもまれ、法事の後や私の帰国の時<一人で行く>覚悟を母はいつ頃からか持ち始めていたのでしょう。さらに、私が

知りたかったのは最後の頃の母の心境です。老いと体調を考え、もうこれ以上お墓に

来れないと決めた時の気持ちを聞きたかったのです。<阿弥陀様>が迎えてくれるから、、と、いつも平静であるよう努力した母の静かな叫びが聞こえます。

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私達は春と秋のお彼岸に大きな<祖霊信仰>を感じるのでしょうか。

<我々は此岸、仏様の世界は彼岸>この言葉に心打たれます。人間の迷い、苦しみの

原因となる煩悩が消え、悟りの境地に達した世界、そこが<極楽浄土>です。

 

体力も行動力、思考力も少しづつ落ちる自身の変化は、亡き両親の心中を探す、

知りたい想いが増すことであり、合掌して、供養と深い冥福を届ける春のお彼岸です。